東京の桜狂想曲
早春、東京は桜が開花するや否や各地一挙に満開へと進んだ。暖かく晴れ上がった一日、家内と桜を楽しもうと出掛けた。永田町で地下鉄から地上に出て歩き出す。最高裁判所前の桜並木を見上げ愛でながら緩やかな坂道を下っていく。やがて皇居のお堀ぎわだ。お堀側に渡らず左折して歩いて行くと国立劇場前や英国大使館前に華やかに広がる満開の桜並木が続く。
早春、東京は桜が開花するや否や各地一挙に満開へと進んだ。暖かく晴れ上がった一日、家内と桜を楽しもうと出掛けた。永田町で地下鉄から地上に出て歩き出す。最高裁判所前の桜並木を見上げ愛でながら緩やかな坂道を下っていく。やがて皇居のお堀ぎわだ。お堀側に渡らず左折して歩いて行くと国立劇場前や英国大使館前に華やかに広がる満開の桜並木が続く。
先週、2回目のワクチンを打って来た。1回目はちょっと体調を崩したが、2回目はもう少しひどくなると聞いていたので覚悟はしていた。 筋肉注射なので、2日ほどは打った場所を押さえると痛いな、程度だった。他にはなにもなかった。たまたま自分たちが軽かっただけなようで、それなりに大変な人もいたようだ。
長男の対面授業が11日に再開された。登校開始のXデーはまだまだ先だろうと踏んでいたため、今月に入ってから状況が慌ただしくなった。 母親グループのSNSに加わっていると、「〜らしい」という非公式情報が入手できる。「どこどこのソーシャルメディアに載っていた」や「PTAの誰々が言っていた」のような内容だが、心の準備にはとても役立つ。
コロナパンデミックから1年がたったが、まだロックダウンとその解除が繰り返されている。 最近、地球温暖化防止を訴える若者たちの集まりを見るようになった。ごみ集めをする若者集団にも会う。こういう活動は歓迎だ。パンデミックで温暖化への取り組みが後退していると思う。
スモッグが去ってからどのくらい経っただろうか。澄み切った青空。3月の日がまぶしい。毎朝、2匹の愛犬と散歩する。変わったのは空だけではない。行き交う人もすっかり変わってしまった。 マスクで顔を覆い、数メートル前からこちらを避けて通り過ぎる。1年前には、「Good morning」とか「Hi」と手を挙げてあいさつしていたアメリカ人は知らん顔で通り過ぎていく。
住まい探しをする時、通勤のしやすさと日当たり、窓からの眺めが大切だった。でも今は、建物の耐震性やハザードマップ、避難所、さらに、もともとどんな土地環境だったかもチェックするようになった。 それにしても最近はよく地震が起きる。今週は和歌山で震度5弱、宮城や熊本で震度4、先月は深夜に福島で震度6強。この福島の地震は、気象庁によると東日本大震災の余震だったというから意味深だ。
車から降りて目の前の土手を超えると思わずあっと息をのんだ。40〜50センチもの厚みを持ったコンクリートの防波堤が折れ、砕けて転がっている。波打ち際には数かぎりない消波ブロックが積まれている。新しいのは津波後に運ばれた。来る途中も幾台もの消波ブロックを積んだトラックとすれ違った。
愛知県名古屋市に生まれ育った自分にとって、お袋の実家がある同県安城市は母方の親戚一同が在住していることもあり、幼少時の第二の故郷のようなところだった。考えてみると、子供の頃の体験こそが、現在の自分の骨格になっていることに気がつく。 安城市と言えば、日本三大七夕祭りの一つである安城七夕まつりが有名で、小学生の頃は毎夏、祖母と叔父家族が住む家に泊まりで遊びに行っては、にぎわう祭りを楽しんだ記憶がある。
コロナ感染が始まり約1年がたつ。外出禁止令が発表された当初は恐怖感でほとんど屋内にこもり、離島の孤立状態だった。アパートの2階のベランダでリス出現に気付いたのもその頃だ。電線が隣接する建物、屋根、樹木などをエア・ハイウェイのようにそつなくつなぎ、界隈一帯を自由に動き回れる。
その日のことは今も鮮明によみがえる。 日本に到着してほどなく、久しぶりに会った親戚と銀座三越の9階で昼食を終えたばかりの時だった。天井からつるされた照明器具がブーンと左右に揺れはじめ、窓の外を見るとクレーンが大きく揺れていた。揺れが止むのを待って一階へ降り、とりあえず喫茶室に座り込むと、余震のたびに「皆さん、テーブルの下へ」とウエートレスの声。