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塩田武雄さんの晩年知りませんか:
遺族が呼びかけ
2007年1月6日

 戦前ニューヨーク地区を中心に米国の東部で活躍した日本人建築家、塩
田武雄さんが晩年をどのように過ごしたか、遺族が現在、知る人を探して
いる。塩田さんの生涯をまとめた在米作家の本の刊行がきっかけとなった
もので、このほど遺族を代表して遠縁の塩田利子さんが訪米、著者の柳田
由紀子さんも手伝って、国務省に調査嘆願書を提出した。塩田さんには子
供がおらず、妻のアメリアさんが戦後間もないころに日本に送った手紙か
ら、戦時中に日系人強制収容所で亡くなったことは分かっているが、どこ
の収容所かも分かっておらず、利子さんは「何とかそれだけでも確認でき
れば」と、切実な思いで協力を求めている。

Shiota

ニューヨークを拠点に活躍して
いたころの塩田さん(塩田家提供)

 塩田武雄さんは1881年、千葉県夷隅
(いすみ)郡大多喜町の裕福な農家に生まれ
た。幼少のころから自然をこよなく愛し、物
心ついたころから早くも庭作りを一生の仕事
と決めていたようだ。大多喜中学卒業後、造
園業に就き、1907年、「世界1の庭を造
るという野望は日本では満たされない」と、
はるばる太平洋を渡った。

 その後の塩田さんの活躍は柳田さんの著書
「太平洋を渡った日本建築」(NTT出版)
に詳しいが、中でも特筆されるのはブルック
リン植物園の日本庭園(一九一五年)の造
園。当時はニューヨーク郊外のロックフェラ
ー別邸や、マンハッタンのリッツカールト
ン・ホテルなどに日本庭園や茶亭が登場。大
衆誌がこぞって日本特集を組むなど、建築や
造園をめぐる「ジャパニズム」が爛熟期を迎
えていたという。


 そうした中、抜擢されてブルックリン植物園の日本庭園の造園を任され
たことは、塩田さんに対する評価がいかに高かったかを物語っていると言
える。



武雄さんの消息を知る人からの協力を求め渡米した
塩田利子さん(左)と、利子さんに協力して人探し
に務めている在米作家の柳田由紀子さん

 塩田さんは1916年、当時
としては珍しくヨーロッパ系の
米国人女性と結婚。その半年後
には5番街に造園会社をオープ
ンするなど、事業は順調に進展
していたようだ。

 しかし、その後、どのような
生涯を送ったか分かっていな
い。そして、1943年12月
3日、収容所で死去。柳田さん
は著書で「最期は悲劇的であ
る」と書いた。また、「東部に
いたのだから、収容所送りは強
制ではなかったはず。なのにな
ぜ収容所で死んだのか」と疑問
を抱く。

 塩田利子さんは他に、ワシントンDCの米国立公文書館などにも調査協
力を求め、メリーランド州当局の死亡証明書などからも確認作業を進めて
もらっている。

 塩田武雄さんに心当りの人は柳田さんまで連絡するよう求めている。電
話562・597・0734。

 Eメールは—
 yukikomccarty@mac.com
(長島)

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