2000年に95歳で開催したリサイタルに対し、2002年ギネスブ
ックに「世界最高齢の弾き語り」として認定され、その後も活動を続け2
003年にもミニライブを開いた、女義太夫の四世竹本綱吉(たけもと
つなきち)さんも、そのような驚異的な舞台人の1人でしたが、今月8日
老衰のため103歳で亡くなられました。1905年京都生まれ、義太夫
好きの父親の影響から7歳で三世竹本綱吉に入門、9歳で初舞台。女義太
夫の中で1923(大正12)年から8年連続で人気投票1位になり、3
3歳で四世綱吉を襲名。芸の幅は広く、レパートリーは百を越すといわれ
ました。
女義太夫とは、明治を最盛期とする、太夫1名と太棹という低音の三味
線1名とで演じられる浄瑠璃で、その人気は絶大なものでした。かみしも
姿のうら若き太夫(語り手)が、身を乗り出し日本髪を乱すほどの熱演を
し、落ちたかんざしを拾うために熱狂的ファンである学生たちがわれ先に
と舞台に駆け寄る、佳境にさしかかると客席にいる書生たちが「どうす
る、どうする」と声をかけるなど、いわばアイドル的な存在だったので
す。ごひいきの太夫を追いかけて連日、寄席を渡り歩く者も出る始末で、
当時の新聞に、「嘆かわしい風潮である」という意見も掲載されたほど。
アイドル歌手の追っかけと同じことが明治時代から起こっていたのです。
そんな中で四世竹本綱吉さんは、戦前はステージプロとして、戦後は京
都市内に自らの道場を開いて主にレッスンプロとして、103年の生涯を
現役として通しました。初舞台から最後のミニライブまで98年、健康寿
命が74・5歳という21世紀においても、驚くべき数字です。100歳
まで、毎朝の稽古を欠かさなかったというのですから、それが健康の秘訣
だったのでしょう。長生きするだけでなく、健康なだけでもなく、一生を
現役で過ごせる、宮沢賢治ではありませんが、「サウイフモノニ ワタシ
ハナリタイ」。 |