1年後に親書に対する返事を受け取りに来る約束したペリーは翌年、
7隻の戦艦を従えて再来航し、結果的に横浜で日米和親条約を締結するこ
とに成功します。そのことを記念して、幕府の主だった役人を戦艦に招い
たパーティーでは、ミンストレル・ショーというその頃アメリカで大流行
していた音楽が演奏されました。これは、白人が黒人のように顔を真っ黒
に塗り、各々にバンジョー、ヴァイオリン、タンバリン、ボーンズ(馬な
どの骨を使った一種の打楽器)などを演奏しながら、コミカルな歌を歌い
踊るというものです。今の時代ではとても許されることではありません
が、当時はいくつものミンストレルバンドが人気を博し、「おおスザン
ナ」や「草競馬」で知られる作曲家フォスターも、ミンストレルのための
曲をかなり残しています。
いつもは厳粛な振る舞いをする幕府の役人たちも、さすがにこのショー
には笑いこけていたそうです。歌詞の意味がわからなくても、その陽気な
メロディと滑稽なしぐさに、つい渋りきった気分も開放されたのでしょ
う。リズムも違えば、音階も違う、楽器も見たことのないものばかりだ
し、政治的なこととは違った意味で『異国』を感じたかもしれません。
2回にわたるペリー来航に際しての音楽体験は、ほんのわずかな限られ
た人たちのみのものであり、これがすぐに日本国中に広がっていったわけ
ではありません。篤姫の輿入れもまだこの後ですし、明治維新まで15年
あります。薩摩が英国式軍楽隊の伝習を受け始めるのは明治2年ですし、
日本初の音楽教科書となる『小学唱歌集第1編』が発行されるのは、篤姫
の亡くなる2年前である明治14年のことです。こんな激動の時代の幕開
けに「Yankee Doodle」やミンストレル・ショーを見聴きした人たちのと
まどいや驚き、興奮を想像しながら、音楽に注目しながらドラマの続きを
見るのもおもしろいかもしれません。
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