海外日系新聞放送大会にて
今月初め、かつてデンバーで「ロッキー時報」を発行し今は日本在住の今田英一・順子夫妻から連絡を受け、第39回海外日系新聞放送大会にオブザーバーとして出席する機会を得た。 会場は、大型客船を眼前に望むJICA(国際協力機構)横浜国際センター。
今月初め、かつてデンバーで「ロッキー時報」を発行し今は日本在住の今田英一・順子夫妻から連絡を受け、第39回海外日系新聞放送大会にオブザーバーとして出席する機会を得た。 会場は、大型客船を眼前に望むJICA(国際協力機構)横浜国際センター。
シアトル日系コミュニティーで「ドクター・ルビー」と呼ばれて親しまれたルビー・イノウエ・シュー医師が亡くなった。91歳だった。 1949年から95年までの半世紀近くの間、日本人町の医師として信頼されると共に、現在のシアトル敬老設立への大きな力となった女性だ。
「いじめ」(Bully)は今に始まったことではない。古今東西、人間同士接する空間ではつねに存在してきた。 元々、「Sweetheart」(愛しい人)という意味のオランダ語「Boel」が語源だったらしい。それがいつの間にやら「弱いものいじめ」といった意味合いで使われるようになったという。
第二次世界大戦の勃発で、敵性外国人としての日系一世ばかりか、れっきとした米国市民であるその子供たちまでが強制的に収容されたキャンプ…。 日系人がそれらのキャンプでの暮らしを経験した日から70年の歳月が流れ、一世の体験者が生存しているという話は中西部ではもう聞かない。
お盆供養の時期になった。故人を偲んで供養するとき、その人が生きていた時代、社会背景にふと思いを馳せるときがある。あんなことを話していたのは、あの頃のあの状況では…と、少し当時の社会状況・家庭環境を理解できて、ちょっと気持ちを近づけられたときに思い当たる。
「今、畑から取ってきたばかり。おいしいよ。持って行きなさい」 立派なきゅうりやなすが並んでいる。彼は一回りもふたまわりも小さくなったが、目の奥は相変らず笑って光っている。 かつての企業戦士は会社を引っ張っていたあの情熱で、
例年になく寒さが厳しく大雪に見舞われた冬も去り、ようやく春の訪れが巡ってきた。4月1日は恒例の隣駅「宮崎台さくら祭り」、残念ながら今年の開花は間に合わない。それでも公園や駅前通りは歩行者天国になり、好天に恵まれて大勢の市民が集まった。
暦も如月2月ともなれば、「今年こそは」と誓った新年のレゾリューションもどこへやら。「な〜に、卵と誓いは破れやすしというから、来年また誓えば…」と、元の木阿弥の日々を送っている人が大半なのでは?! 誓いとは言葉で立て、言葉は風のようなもの。だから、たいがいの誓いとか願いは、凪の時には忘れられる。
年初にゴードン平林さんが亡くなられ、大戦時にワシントン大の学生だった平林さんが外出禁止令の違憲性を主張して出頭し法廷で闘ったことが、再び多くのメディアで紹介された。 私が初めてお会いしたのは1988年、日系市民協会全米大会出席のため平林さんがシアトルを訪れたときだ。
2012年も始まり、今年の抱負を胸に新たな年を迎えた人も多いのではないだろうか。新年の決意は見事達成されることもあれば、気が付けばいつしか忘れ去られていることも。有言実行は難しい。 加州のジェリー・ブラウン知事も18日、州政府の1年間の基本方針や政策を示す施政方針演説を行った。92億ドルの財政赤字に直面する加州では、