Browsing: 半田俊夫

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 早春、東京は桜が開花するや否や各地一挙に満開へと進んだ。暖かく晴れ上がった一日、家内と桜を楽しもうと出掛けた。永田町で地下鉄から地上に出て歩き出す。最高裁判所前の桜並木を見上げ愛でながら緩やかな坂道を下っていく。やがて皇居のお堀ぎわだ。お堀側に渡らず左折して歩いて行くと国立劇場前や英国大使館前に華やかに広がる満開の桜並木が続く。

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 2月2日の節分、3日の立春から早くもひと月が経ちいよいよ3月だ。明日3日はひな祭り、三色のひし餅を食べよう。徐々に春に向けてこよみが進む中、3月は卒業式や公官庁、企業が年度末の締めの作業や整理、新年度への準備や引っ越しなどで忙しい月。やがて春4月を迎えれば日本の社会は新鮮な気分で入学式、入社式、新予算での新企画の取り組みなどコロナ禍の中も新しい活動を始める。

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 夫婦で母国日本に戻ってまもなくほぼ2年。コロナ禍に気をつけながら40数年振りに生活する故郷の東京は心から楽しい。日本は色々あって面白く文化の密度も濃くそれが自分の文化だから自然だ。日々を過ごす中の実感で帰国は良い決断だったと思う。  長い米国生活だったので東京は新鮮な魅力がある。

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 謹賀新年。本年も読者の方々の健康と安寧を祈ります。  日本に帰国して2年近く、自分の国に帰ったので適応とか慣れとか何の問題もなく自然に故郷東京の社会と環境に溶け込み受け入れられ、地域社会の活動にも入れてもらってすっかり「地元民」になり夫婦で日本を楽しんでいる。幸運なことだと思う。

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 南加から東京に移って2年弱、東京は大きく実に多彩な顔を持っていて見どころが無限にある感じだ。奈良、京都に比べれば歴史は短いながらも花のお江戸以来の政治、経済、文化の中心として、そして明治以降は首都となり国際都市として拡大発展して来た。そういう俯瞰(ふかん)の中で、東京生まれながらも長年のLA生活から戻ったお上りさんの感覚で、あたかも新しい都市を見物するような気分で行きたい所や見たい所へ具体的に一つ一つ足を伸ばして出歩き、行く先々を面白く楽しみ味わっている。

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 自分もそうだが日本人はいつも四季の移り変わりを心に留めその趣を大事にして愛する。日々四季を味わって過ごしながら一年を送っている。季節ごとの風景や風情の変化を楽しんで尊ぶ。その豊かな四季の感覚を古来から歌や詩に詠んで愛でている。  日本人にとって季節感と結びついた大事な物の一つが食べ物だ。

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 日本でこれを書いている今9月19日から22日へかけて土曜から火曜まで4連休だ。土、日は通常の週末だが月曜は敬老の日、火曜は秋分の日となっている。  日本に移って1年半、住んでいてよく思うのが年間を通して「あれ、また連休か」と連休が多いこと。すなわち祝日が多い。

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 東京生まれ東京育ちなので昔若かった頃に住んでいた東京の姿と、長い米国生活を終えて去年帰国してから見ている今日の東京とのさまざまな分野での変化や違いがよく分かる。その一つが東京の交通システムだ。交通インフラの変遷と言おうか。  今からざっと55年から60年ほど前の青春時代は学生として通学や交友で外出も増えていたので都内を動く中で首都東京は大都市であり公衆交通がよく発達しているなと思っていた。

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 僕が住む東京都世田谷区の成城地区で、「若葉会」という名前の地域住民による諸々の趣味や文化のサークル活動がある。コロナ禍で3カ月半ほど中断されていたが6月中旬から再開になった。この文化活動の集まりは、世田谷区から提供されている「触れ合いの家」と呼ぶ会館(元屋敷を改造)の各部屋で、僕が入っている書道会をはじめ色々な会が自主運営されていて、他に以下のような会がある:

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 新型コロナウイルス感染症は世界に猛威を奮い犠牲者を生み続けている。予防薬と治療薬が開発されるまでは手探りの戦いが続く。  そんな中で、日本の感染者、特に死者数が桁違いに低い状況に世界の注目が集まっている。ちなみに日本の死者数はアジアでは高い方だが、本稿執筆の7月初旬で主要国での人口当たりの死者数を日本と比較すると米国は51倍、英国が81倍、スペイン80倍、伊国72倍、スエーデン67倍、仏国57倍、ベルギー109倍という状況だ。

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 4月に発令された日本の新型コロナ禍対策の緊急事態宣言は5月末に東京を含め全国全域の解除となった。日本の政府宣言は憲法の制約で強制力も罰則もない行動自粛のお願いだが国民の自発的行動により感染押さえ込みの成果はあった。医療とは命を守ることであり、日本の死者数が欧米諸国に比べ桁外れに低かったのは良かった。

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 東京五輪は1年延期となった。2年前のこの欄で「64年東京五輪開会式での出来事」を書いた。戦後まだ19年ばかりの日本が戦禍からの復興を世界に示したスポーツの祭典、その聖火リレーで聖火台に点火する最終走者に選ばれたのが広島で原爆が投下された日に生まれて育った坂井義則さんだった。故に彼はその時19歳。

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