幻の五輪代表選手に金メダルを
東京五輪・パラがいよいよ8カ月後に迫った。オリンピックは、「スポーツの祭典」と並んで政治が絡んだ「平和の祭典」とよく言われる。まさにその通り。戦争が起こっては、競技どころではない。1940年に予定された東京五輪は日中戦争の影響でヘルシンキに移り、そして大会自体も中止となった。
東京五輪・パラがいよいよ8カ月後に迫った。オリンピックは、「スポーツの祭典」と並んで政治が絡んだ「平和の祭典」とよく言われる。まさにその通り。戦争が起こっては、競技どころではない。1940年に予定された東京五輪は日中戦争の影響でヘルシンキに移り、そして大会自体も中止となった。
日本人移民が多かった戦前、ロサンゼルスに「小児園」という日本人困窮家庭の児童救済のための養護施設があった。1914年(大正3年)に創立され、日本総領事夫人を名誉会長に日系社会の有力者が理事として名を連ね、知らぬ人のない日系社会が誇る立派な福祉施設だった。施設の売却で話題となった旧「敬老ホーム」のような存在だったが、今は誰も知る人はいない。
リサーチの仕事の途中で休憩をとった。コーヒーを飲みながら、Youtubeで最新の「ものまね」に寄り道。その後、本日のニュースをチェック。すると興味深いオリンピックの歴史に辿り着いた。 1940年(昭和15)の出来事だ。
中国と日本が国交を正常化したのは、1972年。当時の首相であった田中角栄と周恩来によって実現に至りました。 双方に多大な被害をもたらした日中戦争に対し周恩来は、 「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」、 として、