10年からの学び
住まい探しをする時、通勤のしやすさと日当たり、窓からの眺めが大切だった。でも今は、建物の耐震性やハザードマップ、避難所、さらに、もともとどんな土地環境だったかもチェックするようになった。 それにしても最近はよく地震が起きる。今週は和歌山で震度5弱、宮城や熊本で震度4、先月は深夜に福島で震度6強。この福島の地震は、気象庁によると東日本大震災の余震だったというから意味深だ。
住まい探しをする時、通勤のしやすさと日当たり、窓からの眺めが大切だった。でも今は、建物の耐震性やハザードマップ、避難所、さらに、もともとどんな土地環境だったかもチェックするようになった。 それにしても最近はよく地震が起きる。今週は和歌山で震度5弱、宮城や熊本で震度4、先月は深夜に福島で震度6強。この福島の地震は、気象庁によると東日本大震災の余震だったというから意味深だ。
その日のことは今も鮮明によみがえる。 日本に到着してほどなく、久しぶりに会った親戚と銀座三越の9階で昼食を終えたばかりの時だった。天井からつるされた照明器具がブーンと左右に揺れはじめ、窓の外を見るとクレーンが大きく揺れていた。揺れが止むのを待って一階へ降り、とりあえず喫茶室に座り込むと、余震のたびに「皆さん、テーブルの下へ」とウエートレスの声。
2月2日の節分、3日の立春から早くもひと月が経ちいよいよ3月だ。明日3日はひな祭り、三色のひし餅を食べよう。徐々に春に向けてこよみが進む中、3月は卒業式や公官庁、企業が年度末の締めの作業や整理、新年度への準備や引っ越しなどで忙しい月。やがて春4月を迎えれば日本の社会は新鮮な気分で入学式、入社式、新予算での新企画の取り組みなどコロナ禍の中も新しい活動を始める。
大会誘致のプレゼンテーションで登壇し熱弁をふるい、会場の最前列を陣取った前首相をはじめスタッフが固唾を飲んで見守った。「TOKYO 2020」。1964年以来、56年ぶりの東京五輪・パラ開催が決まった歴史的瞬間に感動した。2013年9月のことだった。
いじめ防止のため最近の日本の小学校ではあだ名が禁止というニュースを読んだ。苗字に「さん」を付けて呼ぶ。正当だが、個性に欠ける気がして残念。近年は創造性豊かなキラキラネームも幅を利かせるが、そんな時代とも逆行していないだろうか。 確かに、意図はなくても傷つくことはある。
日本も世界と同じ土俵で語られて比較されるようになったのは救いと思う。いろんな課題があらわになってきている。これも新型コロナのおかげなのか。 ひとつは医療システム。日本はアメリカに比べて桁違いに感染者が少ないのに、病床が足りず医療崩壊が叫ばれた。人口当たりの病院数も病床数も圧倒的に多いのになぜなのか。
日本へ帰国すると決めてから、「うそでしょう?」「どうしてまた?」「理由は?」と多くの質問を受けた。1981年から2009年まで、まる28年である。アメリカが、ロサンゼルスが嫌いになったわけではない、仕事が嫌になったわけでもない、むしろ楽しんでやっていた。
先日の東京五輪組織委員会会長である森喜朗氏による発言は、女性蔑視で不適切だと厳しく批判された。あくまでも個人的意見だが、概して昭和の年寄りオヤジたちは(*筆者も昭和生まれだが…)男尊女卑から脱皮し、さらなる男女平等を理解するべき意識改革の教育が必要である。
新型コロナウイルスのワクチン接種が、身近なものとなってきた。最初は12月、メディカルセンターに勤務する息子だった。続いて1月には「自分も1回目を済ませた」と他州の娘から喜びの電話が入った。 ワシントン州では1月半ばから、高齢者枠の予約がオンラインで開始。
父が本好きだったせいか、家にあった本をひたすら読んでいた時期がありました。決して自分が好きな本を読んでいたわけではなく、それは父が好んだジャンルの本でしたので、戦記や歴史物など小難しい文章でしたが、少なくとも文系に染まっていきました。特に予備校でカリスマのような現代国語の教師に出会ったこともあってか、国語以外には興味を示せず、大学では日本文学を専攻し、国語教師の免許まで取得することになりました。