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 日本のへそを宣言する町は多くあります。その根拠もさまざまで、経緯度の交わる点、人口の重心、最北端と最南端を結んだ点など、わが町こそ日本のへそ(=中心)であることを主張しています。  そんなへそを宣言する町のひとつである岐阜県関市にある平成(へなり)地区の道の駅を訪ねた時に、「ありがとう! 平成時代」と書かれた看板が、やけにもの悲しく、時代の移り変わりを感じさせました。

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 EU諸国の中で最も移住したい国といわれるポルトガルの首都リスボンの西、古城で有名な街シントラからさらに西の果てにあるロカ岬に向かう夕方のバスは、大変混雑していました。そのくせ、急ブレーキを連発させながら狭い山道を登り降りするドライバーは、乗客からの時折漏れる悲鳴に動じないばかりか、自分の運転に酔いしれているようでした。

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 昨年の大河ドラマ『西郷どん』のテーマ曲を思い出してみてください。心躍るようなリズムと、岩から水が滴り落ちている滝の映像を覚えているでしょうか。これは雄川の滝で、鹿児島の大隅半島にあることを聞いて、行ってきました。山の奥にあるので、駐車場からもトレッキングでゆっくり歩いて30分ほどかかります。

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 中米の小国コスタリカは独立国であるにも関わらず軍隊がありません。軍事費に使うお金を無駄なものと考え、それを教育費や医療費に使っているのです。といっても最初から軍隊がなかったわけではありません。日本が戦後まもない1948年、コスタリカでは革命が起こり、勝利したホセ・フィゲーレス・フェレールが突然軍隊を撤廃したのです。

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 飯沼信子さんとお会いしたのは、ワシントンDCに桜の木を贈った高峰譲吉の生涯を映画化した『TAKAMINEアメリカに桜を咲かせた男』のLA上映の打ち合わせのために、ご自宅に伺った時でした。というのも飯沼さんには『高峰譲吉とその妻』という著書があり、上映時に高峰譲吉の事を話して頂こうという計画になったからでした。

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 バルセロナには陽気な音楽が似合います。地下鉄の中でも、街の端々でもストリートミュージシャンによる演奏が溢れていました。  数年前には経済危機が起こった国ですが、楽観的な国民性なのか、治安は良く、ゆっくりと人生を楽しんでいるようにも思えます。そして、この街の誰もがアントニ・ガウディのことを感じて暮らしているように思えました。

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 かつてエンゼルス球団に松井秀喜選手や高橋尚成投手が在籍していた時に、日本人応援団との写真撮影会のお願いをして実現したことがあったために、今年の大谷翔平選手の応援の際にも同じようなお願いをしてみたのですが、見事に断られました。それだけでなく、「OTANI」ではなく「OHTANI」と記載するようにと、念を押されたのでした。

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 日米メディア協会(JAMA、朝倉巨瑞代表)主催の、第13回ロサンゼルス日本映画祭(JFFLA、鈴木智香子映画祭実行委員長)の閉会セレモニーがこのほど、小東京の全米日系人博物館で催された。オレンジ郡と小東京の2カ所で2日間にわたって開かれた今年の映画祭では、長編短編を含む全23作品を上映。作品賞を受賞した上田慎一郎監督の話題作「カメラを止めるな!」と監督賞を受賞した桃井かおり主演、脚本、監督の「火 Hee」が満席となるなど、同映画祭関係者にとって最上の結果を生み出した。

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 重陽の節句という言葉を最近ではあまり耳にしませんが、9月9日のことです。重陽とは陽が重なるということで、中国の陰陽思想に起因するそうです。数字の奇数は縁起が良い数字とされ、3月3日(桃の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕の節句)というように区切りをつけて邪気払いをしたそうで、九は陽の気が極まって重なる重要な節目だったのだと考えられます。

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 父や兄の野球好きの影響か、小学生の頃から野球を始めました。ツギだらけの体操着で白球を追いました。中学になり、すこしだけ本格的になり、野球部の厳しい練習を経験しました。  当時の練習は真夏で数時間も炎天下でボールを追っていても、水はほとんど飲ませてもらうことができず、口の中はいつも乾ききっていました。

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 台北駅から、それほど遠くない位置に中正紀念堂がありました。広い庭には鯉が泳ぐ池があり、リスが散歩するゆったりとした空間でした。この紀念堂は、台湾の初代総統である蒋介石氏を祀る施設で、巨大な蒋介石氏の像が帰ることのできなかった中国の方向を向いて座っていました。

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 先月、栗城史多さんの訃報がひっそりと報道されました。彼のことは、以前このコラムでも書きましたが、世界七大陸の最高峰を単独無酸素で挑戦した方です。最後に挑戦したエベレストから生きて帰ることができませんでした。それでもこれだけの事を成し遂げたのですから、登山家として尊敬の念をもったものであるべきだと思っていたのですが、登山の専門家からは、無謀な登山をし続ける素人として非難を受け、関心を持たれてきませんでした。

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