東京五輪の金メダル!
テニスの四大大会で2大会連続優勝し、つい最近まで世界1位の座にいた大坂選手が、生まれた大阪で2週間ほど前に開かれた大会で国内ツアー初優勝を果たした。日本語で「ありがとうございました」とあいさつし、「生まれた場所で優勝できて本当に特別」と、満面の笑みを浮かべた。
テニスの四大大会で2大会連続優勝し、つい最近まで世界1位の座にいた大坂選手が、生まれた大阪で2週間ほど前に開かれた大会で国内ツアー初優勝を果たした。日本語で「ありがとうございました」とあいさつし、「生まれた場所で優勝できて本当に特別」と、満面の笑みを浮かべた。
ジャパン・ハウス・ロサンゼルス(海部優子館長)は9月25日、在ロサンゼルス日本総領事館、内閣官房東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局、日本国外務省とともに、スポーツ、文化、教育の側面から日米間交流について考える特別パネルディスカッションを開催した。イベントは2020年東京五輪に関連して内閣府が推進中の「ホストタウン」の仕組みを紹介するとともに、24年にパリ、28年にロサンゼルスへと続く将来の五輪大会にそのコンセプトが引き継がれるきっかけを発信した。
2020年の東京五輪・パラリンピック開催まで1年を切り、世界各国の選手たちの代表権争いが本格化していて面白くなってきた。ホスト国として世界から注目を集める日本は今夏、五輪を占う各世界選手権に臨んだ。 お家芸の柔道は男女ともに各階級で進撃を見せ、本番でのゴールドラッシュに期待がかかる。
日本に住む47歳の従姉が昨年、性転換手術を受けて「従兄」になった。私とは同学年だが、早生まれの私が誕生した時、ほぼ一年の年齢差がある従姉はすでに歩いていて、成長ぶりや学校の成績など、子供の頃には何かと比較されたものだ。その頃からすでに、従姉の心は男の子だった。
ドジャースの「ジャパンナイト」が24日、エンゼルス戦前の本拠地球場で催され、和太鼓演奏や君が代斉唱、米国歌をギターで奏で、二世週祭をPRした。エンゼルスの大谷選手が勇姿を見せて記念写真に納まり花を添えた。始球式は女子テニス世界ランク2位の大坂なおみが務め、前田投手がキャッチ。日本のスポーツ界が世界に誇る豪華な顔ぶれがそろい、イベントを大いに盛り上げた。【永田潤、写真も】
ゆりかもめに乗って病院に向かった。車窓から眺める東京の臨海部ではあちこちで工事が行われていた。人間ドックの待合室では、もうすぐ8年を迎える東日本大震災関連のニュースが流れていた。 私が暮らす東京の江東区や隣の中央区は五輪開催の中心地。東京湾に面していて、会場となる施設がたくさんあり、その多くが新しく作られている。
昨年の全米オープンテニスで女王となり、日本人初の四大大会を制した大坂なおみ選手。現在行われている全豪オープンでも決勝に進んだ。ここで勝つと、世界ランク1位となり、これもまた日本人初の快挙となる。着実に階段を上がるグランドスラムへの期待は高まるばかり。
「シェフ・サトー」で日系社会では、その名が通る元フレンチシェフの佐藤了さん(80)。来年に迫った母国開催の東京オリンピック・パラリンピックに対する思いは人一倍強い。料理人として携わった1964年の東京大会に次ぎ、2020年大会のボランティアに応募し、人生2度目の檜舞台に大きな夢を膨らませる。25歳だった若者が、オリンピックで出会った本場欧州各国のお抱えシェフから刺激を受け、料理修業へと欧州へ旅立ち、世界の扉を開くことになった当時の記憶を蘇らせ「もう一度、東京オリンピックで料理を作りたい」と熱く語る。【永田 潤】
1890(明治23)年、通信記者として日本にやってきた英国人ジャーナリストで作家のパトリック・ラフカディオ・ハーンは日本について綴った著書「日本の面影」の中でこんな言葉を残している。「彼ら(日本人)の素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。
10月10日NHKテレビで、54年前の1964年10月10日、東京五輪の開会式で起った誰も予期しなかった出来事を懐古した。 参加94カ国7千人の選手団が堂々の入場行進、国立競技場いっぱいに整列した。最後に赤いブレザーの日本選手団が現れ行進、大歓呼だった。そしてハイライトが聖火リレー最終ランナー、19歳の坂井吉則陸上選手(4年前に69歳で他界)が競技場に姿を現し半周を始めた時に事件が起った。