独立記念日
7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日だった。 国家の独立とは、主として植民地状態など他国の従属的立場にあった地域や民族が、その支配・圧政から離れ、新たな国家として成立することで、アメリカの場合、1776年7月4日に当時イギリスの植民地だった
7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日だった。 国家の独立とは、主として植民地状態など他国の従属的立場にあった地域や民族が、その支配・圧政から離れ、新たな国家として成立することで、アメリカの場合、1776年7月4日に当時イギリスの植民地だった
私がはじめて日本から外へ出たのは1969年で、企業の駐在員としてシンガポールへ行った時だった。日本では年初に東大安田講堂事件があり、また7月にはアメリカの宇宙船アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たした年だ。私がシンガポールに着任して
南カリフォルニアには今年もジャカランダの季節がやってきた。わが家の前にもジャカランダの木が街路樹として植えられている。これからしばらくの間、わが家のような一般庶民の小路からビバリーヒルズの高級住宅街まで、見事なうす紫色の花で埋め尽くされ、
10年ほど前だったと思う、オレンジ郡に大きなショッピング・モールが完成した当初、建物内にまだ数カ所、入居が決まっていない店舗用のスペースが残っていた。そしてそれらのスペースを覆っていた板壁には装飾用に東西の有名人たちの名言がちりばめられ、
第二次大戦が終了してしばらく、私がまだ小中学生だったころ、映画は私たちにとってほぼ唯一の贅沢な娯楽だった。 映画のスクリーンに人生を重ね、笑い、泣き、そして銀幕の俳優さんに憧れたものだった。最近は3D映画も登場し、臨場感あふれる体験も可能だが、私にとっては昔の白黒映画のほうが胸に迫るものがある。
しばらく前の新聞記事に「カネで買えぬ? 幸福感」というタイトル記事があった。 この記事によると、人は収入が上がるにつれ生活の満足度は増すものの、必ずしも幸福感が増すとは限らないとする調査結果がまとめられ、米科学アカデミーで発表されるとあった。この調査結果は米プリンストン大の教授らが、
私たち仲間内で行っている月例勉強会では、毎年初恒例テーマとして「今年の大予測」を取り上げ、私が担当している。 これは年のはじめに日本と世界の経済、政治、社会、スポーツなどについて20数項目を選び、メンバー各自が予想表に記入、年末に何項目的中したかを競うゲームだ。 年初の予測時ではかなり自信をもって
南北カリフォルニアにわたって組織をもつ詩吟の会「尚道会」の総師・主席師範である奥村国鉦(本名:茂)先生が病のため、86歳をもって逝去された。5年前、最愛の奥さまであった国城先生を亡くされ、寂しさをこらえて詩吟道の指導を続けられていたが、病には抗えなかった。訃報に接し、先生の詩吟クラスに毎週通う一人として、
不本意ながら、私は腎臓障害、糖尿病ほか、いろいろな病気とつき合っている。半年前にはがんの摘出手術もうけ、現在経過観察中の身だ。もはや70歳は「古来希(ま)れ」ではない時代だから、古希を過ぎたといえど私の年齢で病気がちなのは決してほめられたことではなさそうだ。 私たちはおのれの健康状態について、
世の中を見渡せば上があれば下も無限だ。すべての点で自分より気の毒な境遇の人は無数いる。仮に自分が病気であったとしても、もっと重い患者よりはましだ。 私は腎臓障害のため週3回、一回3時間の透析を受けている。透析日はほぼ終日拘束されるうえ、妻が運転手として付き添ってくれるので、