あれから10年
その日のことは今も鮮明によみがえる。 日本に到着してほどなく、久しぶりに会った親戚と銀座三越の9階で昼食を終えたばかりの時だった。天井からつるされた照明器具がブーンと左右に揺れはじめ、窓の外を見るとクレーンが大きく揺れていた。揺れが止むのを待って一階へ降り、とりあえず喫茶室に座り込むと、余震のたびに「皆さん、テーブルの下へ」とウエートレスの声。
その日のことは今も鮮明によみがえる。 日本に到着してほどなく、久しぶりに会った親戚と銀座三越の9階で昼食を終えたばかりの時だった。天井からつるされた照明器具がブーンと左右に揺れはじめ、窓の外を見るとクレーンが大きく揺れていた。揺れが止むのを待って一階へ降り、とりあえず喫茶室に座り込むと、余震のたびに「皆さん、テーブルの下へ」とウエートレスの声。
近くの市民公会堂の上映会で「長いお別れ」を見た。最近、シニア向けに公共施設を活用した割引の上映会が盛んだが、会場の9割は女性の高齢者が占める。 本作は教育者だった父が認知症を患い次第に壊れてゆく過程で、その父を妻・2人の娘と孫が支えてゆく物語である。
寝耳に水だった。 日本滞在中の5月にシアトルから届いたのは、これまで40年以上高齢者ケアにあたってきた非営利団体敬老ノースウエストがシアトル敬老リハビリテーション・アンド・ケア・センターを年内で閉鎖するというニュースだった。 今年2月は敬老ノースウエストが催したオークションで40万ドル以上が集まるのを目撃し、4月には、成田に向かう2日前にシアトル敬老ボランティア感謝昼食会に出席したばかり。
このほど、シアトル郊外に住む女性の手元にあったアイヌの風俗画やガラス玉などが70年ぶりに里帰りし、北海道・白老(しらおい)のアイヌ民族博物館で特別展示された。 「私も、もう95歳。今後は、価値の分かる人の手で安全に末永く保管されることが最善だと信じています」
浪曲(浪花節ともいう)という演芸は私の知る限り、戦後のラジオの時代に人気絶頂を極めたが、いまでは日本の演芸の主流から少々はずれてしまっているようで、私のようなファンからすると少々さびしいかぎりだ。 広沢虎造(二代目)の『清水次郎長伝』、玉川勝太郎(二代目)の『天保水滸伝』、寿々木米若の『佐渡情話』、三門博の『唄入り観音経』などが一世を風靡(ふうび)した時代があった。
お手製らしい金柑ジャムが送られてきた。拙書をお送りしたお礼である。英語書きのレシピが添えてあり、手紙にはこうあった。 この金柑ジャムはことの外、評判が良い。作り主は最近このジャムを作っている途中で体調を崩し、お嬢さまがベッドに寝た母親から聞き取りをして、レシピを書き残すことが出来た。
日本の参議院選挙が実施された。今回から選挙権年齢が18歳以上に引き下げられ、日本全体で約240万人の若者が新たに選挙権を得たという。国の将来をになう若い人たちの意見を政治にも取り入れ、若者からの政治離れを防ぐ狙いと、新有権者の意識に期待し、全体の投票率を上昇させたい狙いもあったようだ。
長年捨てられずにいる古いTシャツがあります。1997と書いてあり、英国の旗が中国の旗に塗り替えられようとしているデザインです。 1980年代中頃に香港島のアパートメントに住んでいたときに買い求めたものでした。
約20年前の1996年5月、私たちの仲間の一人であったR氏が、当時はまだ珍しがられていたEメールによるメルマガ(メール・マガジン)の発行を週刊で始め、一度も欠かさず19年余をかけ、このたびなんと1000号に到達した。
新年まであと数日となった。2015年はさまざまな意味で節目の年だ。日米関係でいえば戦後70周年だし、日系コミュニティーでは二世ウィークが75周年を迎える。ロサンゼルスで領事館が設立されたのも100年前、1915年(大正4年)7月14日のことだ。