ベトナム戦争帰還兵ロスさん:42年ぶり、恩人と感動の再会―「 射手園さん、ありがとう」

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ロスさん(左)と射手園さんは若かりし日の写真を見て青春時代を懐かしんだ(写真=永田潤)

 ベトナム戦争帰還兵のラリー・ロスさんが4月16日、小東京を訪れ1968年に東京で出会い現在はロサンゼルス在住の射手園達一(いてぞの・たついち)さんと42年ぶりの感動の再会を果たした。
 ミズーリ州出身のラリーさん(当時22歳)は、ベトナム戦争により毎日死と隣合わせの激しい戦闘を送っていた。生まれてから一度ものどかな田舎を離れたことのなかった青年が赴いた地で目にしたのは、隣で戦友が命を落としていく悲惨な光景だった。
 戦争の暗い過去を背負ったラリーさんが射手園さんに出会ったのは、1968年ベトナムからの帰還途中に東京で18日間を過ごした時だった。「ベトナムから東京へ行くのはまるで地獄から天国へ行くような気分だった」と振り返る。

42年ぶりの感動の再会を果たし抱き合って喜ぶ2人

 ラリーさんが当時東京在住だった射手園さんと知り合ったきっかけは、射手園さんが英語を話したいという気持ちでラリーさんに話しかけたことからだった。ラリーさんは仕事が終わった射手園さんに連れられ、東京タワー、銀座、新宿や皇居といった観光名所へ案内された。「東京の街は夜も安心して歩くことができた。犯罪もなく、日本人はみな礼儀正しかった」と語る。ラリーさんにとって東京は、残酷な戦場から一変してまさに「天国」だったのである。
 しかし、東京での安穏な日々と打って変わって、帰郷したラリーさんを待っていたのは生まれ故郷からの冷酷で無残な出迎えだった。前線で勇敢に戦ったにもかかわらず、兵士たちは米国民からの激しい非難の的となることもあった。なかには戦争の話に耳を傾けようとしない人もいて、忌まわしい記憶がラリーさんたち兵士を苦しめた。さらにラリーさんを精神的に悩ませたのは、花火やボウリングといった爆発音に耐えられない、戦争後のトラウマ体験だった。
 東京での青春を胸に抱きながら、40年後にラリーさんが偶然見つけ出したのは射手園さんの名前と住所が書かれた一枚の小さなメモだった。インターネット上で恩人の名を探し求めて出て来たのは射手園さんのEメールアドレス。すぐにメールを送った。
 すでにロサンゼルスに移住し、別れてから長い年月も経っていたために、ラリーさんをなかなか思い出せず不信感を抱いていた射手園さんも、ラリーさんが撮った昔の自分の写真が送られてきた瞬間、一気に思い出がよみがえってきた。鳥肌がたったという。
 そして2人は待ちに待った感動の再会を果たした。「タチ(達一)にただありがとうと言いたかった」とラリーさん。一緒に来ていた息子のジャーミーさんも「父が戦争の話をするときはいつもタチの名前が出る。東京でのあの18日間が1番の思い出だったといつも話すんだ」と語る。射手園さんも「戦争は今日限りで終わり。青春を取り戻そう」と目に浮かべた涙が万感の思いを物語る。
 笑顔で話す2人を見ていると42年の年月などまったく感じさせない。しかし同時に2人がこの日をどれほど強く待ち望んでいたかが伝わってくる。
 ふと自分のした親切が相手にとっては一生心に残る思い出になるかもしれない。たとえ自分にとっては大したことでなくとも、それが過去の暗い記憶を拭い心に負った傷を癒すことができるなら、人としてこんなに幸せなことはないはずだ。42年前、戦争により傷心していた米国人と平和な日本で暮らしていた日本人。2人の強い心の交流がこの再会を実現させたのだろう。【大友真奈】

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