ヨコ書きの川柳

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 先日ある日本の女子大の先生の講義を当地で聞く機会があった。一世を中心としたアメリカ製川柳の講義で、とても興味の持てる内容だった。それはいいが、テキスト代りに配布されたプリントの日本語は全部ヨコ書きになっており、川柳と作者名も例外ではなかった。聞けばいまどきの大学生は、川柳(のみならず多分俳句であろうと和歌であろうと)ヨコ書きの例文を読むのになんの抵抗感もない、というのである。これには相当の違和感を覚えた。
 いまでも日本語の新聞・雑誌はほとんどタテ書き・左開きが普通だが、稀には技術系の新聞などでヨコ書きのものがあって、その場合なるほど数式は読みやすい形で文中に現れてくるわけだが、文章は読みにくいことおびただしい。だいたい斜め読みができない。もともと漢字、かななど日本の字は左から右へ、上から下に向けて書くのが普通で、しかも字そのものにタテ長の特徴がある。これを全部ヨコ書きにするとどうなるか、日本語なのに右開きのヨコ書き本を読む「読みにくさ」を想像すればわかると思う。
 戦前日本語をヨコ書きにする場合、右から左へ書くのが普通であった。それが戦後になって左から右へと変り、いまではそれが「文章作文の際にも」定着してしまったわけだが、伝統的に見れば日本語はタテ書きが基本のはずだ。それがワープロやパソコンなど道具類の発達に伴って、否応なくヨコ書きにされてしまった。文章はともかく詩歌までもヨコ書きにしたら文化遺産の破壊だ。加えてカタカナ日本語の氾濫など、古来日本語の伝統がいま破壊されつつあることは憂慮の極みである。
 古いものを壊してどんどん新しいものを取り入れるのは日本人のお家芸だ。悪例をひとつ挙げれば明治期の廃仏棄釈令がそれで、いまになって当時の名城や名仏像などが破却されたのを惜しむ声が高いが、万事壊してしまってからでは遅いのである。文化の基本たる言語をタテ書きからヨコ書きに壊してしまって、後世ホゾを噛むことにならねばよいが。【木村敏和】

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