円空、その生涯

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 円空は1632年、三代将軍家光のころに美濃の国(現在の岐阜県)に生まれました。このあたりは長良川と木曽川に囲まれた土地であり、大雨が降るたびに洪水が村を襲う貧しい地区でした。
 洪水で身内を亡くし、ひとりぼっちになった円空は、尾張の寺に小僧として預けられ、下働きの日々をおくります。そこで、ナタとノミでつくりはじめたのが、後に円空仏と呼ばれる木造の仏像です。
 円空は江戸時代初期という時代において、今の北海道から九州まで全国各地を回る遊行僧となり、その64年の生涯のうちになんと12万体もの仏像を彫り残しました。
 ほとんどの円空仏の顔はそれぞれが親しみのある表情で微笑んでおり、非常に慈愛に満ちた表情をしています。
 混沌の時代に生き、諸国を渡り歩いて、庶民の心の救済をして歩いた円空は、病気になったと聞けば訪ね、雨が降らぬと聞けば祈り、災いがあったと知れば昼夜を問わず彫り続けました。捨てられている木々を拾い、仏として蘇らせることが、自分の生まれてきた使命であることを悟っていたのでしょうか。
 この微笑みと慈悲の顔が何人の人を救ったでしょうか。彫った数も常人では考えつかないほどですが、時代を超えて人々を引き付け、そして見る人を柔和にしてくれるのが円空仏です。
 円空は和歌も数多く残しています。
 「ちはやぶる峯や御山の草木にも有あふ杉に御影移さん」(神様の住む峯や山草木の中で、その御影を、そこら辺にある杉の木に彫って移そう)。
 円空は1695年、美濃の弥勒寺で入定(生きたまま自分で掘った穴に身を修め、水や食を断つ)し、その生涯を閉じました。
 長良川の支流、甲賀川の澄みきった水の音が耳を癒す麓に、円空記念館があります。円空仏は、今でも永遠に微笑を絶やすことがありません。この慈悲に満ちた微笑みをじっと見ていると、静かに円空の思いに馳せることができます。【朝倉巨瑞】

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