「命のリレー」岩手県へ:在米邦人有志がおむつやミルクなど支援物資

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「命のリレー」に協力したボランティアメンバー。右端が石井夫妻。前列左が清水さん、その後ろが山口さん=21日、ロサンゼルス国際空港で


 東日本大震災後、各地で支援の輪が広がっている。21日夜ロサンゼルス国際空港(LAX)から羽田空港へ飛び立った飛行機には、南加在住の人々から集まった支援物資が乗せられていた。人から人へ―「命のリレー」をつないだこれら物資は、ボランティアの手で岩手県の避難所に届けられる。
 パサデナ在住の山口江美子さんは、震災のニュースを聞き、すぐに支援物資収集と募金の呼びかけを始めた。パサデナ・グリーンプラザホテルのオーナー、ナンシー・矢沢さんは、「ホテルの空いた部屋を支援物資の収集と区分け作業のスペースに使って」と援助を申し出た。
 その頃、岩手県花巻市出身でベニス在住の清水薫さんは、テレビに映し出される地元の変わり果てた景色に無力感を覚えていた。「何かしなければ…」。模索し始めた時、パサデナで支援物資と募金を呼びかける活動を耳にし、山口さんに連絡をいれた。「岩手県出身なんです。お手伝いさせてください」
 花巻市は、海岸から車で3時間ほど内陸に位置する。津波の被害はないが、実家の両親とは全く連絡がつかない。宮城県名取市に住む叔母も心配だ。不安な気持ちをかき消すかのように、清水さんは仕事の合間を縫い、夜中まで支援物資調達に走り回った。
 震災から3日後、毎日かけ続けた電話に初めて呼び鈴が聞こえた。両親は無事だった。自宅は生活がかろうじてできる状態ではあるが、室内はちゃめちゃ。近所の多くは避難所での生活を余儀なくされているという。宮城県名取市の叔母の無事も確認した。しかし、海の目の前に建っていた自宅は津波により完全に流されてしまった。
 母の話によると、震災から3日が経っても救援物資は届かず、地元の人は家にあるものを皆で分かち合い、避難所へ野菜などの差し入れをするなど、限られた中で助け合っているという。
 しかし、おむつやミルクなどがまったくなく、避難所で生活する赤ちゃんのお尻は赤くただれ、状況は悪化する一方。清水さんの母は娘に助けを求めた。「お母さん、こっちから物資を送るから。約束する」。海を越え、清水さんは母と固い約束を交わした。

水もお湯もいらず、人の体温で温めて与えられるミルク


 以来、清水さんは山口さんらと協力し、大人と子供用のおむつと、水もお湯も必要とせず、人の体温で温めて与えられるミルクを中心に寄付を呼びかけた。反響は想像を超え、毎日問い合わせの電話が絶えなかった。人種、年齢、性別を問わず、多くの人から物資だけでなく、温かい励ましの言葉ももらった。物資を引き取りに行くたび、協力者の優しさに涙した。空港までの運搬は、ヤマト運輸のロサンゼルス支店が協力を申し出た。
 集まった物資は、震災直後に仕事の都合でロサンゼルス入りしていた東京都在住の牧師石井希尚(まれひさ)さんと久美子さん夫妻が運搬を引き受けてくれた。
 石井さんは、調布市でカフェを運営する牧師。カフェには、津波の被害が大きかった岩手県陸前高田市出身のスタッフがいる。幸い家族の無事は確認されたが、石井さんは教会からメンバー4人を現地に送り、4人はすでに被災地で炊き出しなどのボランティアにあたっている。同市長にも長期的な支援を申し出たという。
 南加の人々の支援の気持ちがこもった物資を前に石井さんは、「責任を持って岩手県に届けます」。清水さんは、「これで母との約束を果たせる」と喜んだ。
 「被災者を助ける」との共通の思いを通じ、人から人へ物資が渡る。清水さんはこの一連の流れを「命のリレー」と呼んでいる。「このおむつ一つで、このミルク一つで赤ちゃんを救える。これら物資は命と同じなんです」
 同様な活動が、ボストン在住の日本人らの間でも広まっているという。
 パサデナ・グリーンプラザホテルでは、チャリティーコンサートなどを行うスペースもあるとして、利用を呼びかけている。その他物資や寄付などに関する詳細は山口さんまで、電話626・792・7370。
【中村良子、写真も】

 
 
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