友と大震災

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 世界中が大きな痛みを感じた大震災。被災地に家族・友人のおられる読者の心配はひとしおだっただろう。私たち夫婦も仙台の友人の安否を気遣った。
 幸い自宅に被害の少なかった友人Mさんは、水産会社の駐在員家族として以前シアトルに長年暮らした。ボランティアをする病院では震災直後、被災者手当て後の替えの下着が無く困っており、その実情を東京の友人に伝えると、たちまち日本各地の友人たちから新しい下着が計40数箱届き大喜びされたと言う。かつて神戸の大地震のときシアトルですぐチャリティバザーを実現させた女性たちだ。
 日本に帰ってもその行動力は発揮され、地震からひと月過ぎた今は、仮設住宅に入居する被災者のために台所の家電品集めを呼びかけて、30数箱分が石巻の被災地に届けられた。「あの日以来ずっと興奮状態の中」と自己分析する彼女は、まだ自宅はガスの復旧しないまま、人助けに奔走している。
 一方、毎日待ったが、夫の友人Nさんから返信メールは届かなかった。Nさんは、飛行機会社駐在員として20年ほど前にシアトルに着任。飛行機が好きで、勤務の傍ら次々と各種航空機の操縦免許を取得し、ついには商業用免許まで手にした。
 週末は自家用小型機で楽しんでいたが思うところがあったのだろう、数年前会社を退職して日米間で航空機関連の事業を始めた。その中で近時最も情熱を注いでいたのが、仙台空港のビジネスジェット中継地プロジェクト。
 アメリカと中国の間を自家用ジェットで行き来するビジネスマンが増える昨今、中継点には仙台が最適であるとの結論に達して昨夏会社を設立、軌道に乗り始めたところだった。
 Nさんは、死者不明あわせて3万人近い東日本大地震の犠牲者の1人となった。地震後、オフィスの被害を心配して空港に向かい、津波に呑み込まれたらしい。一時休暇でシアトルに戻ったNさんを囲んで友人たちが集ったのはこの2月だけに、その死はまだ信じられない思い。今月初め、シアトルから駆けつけた家族により遺体が確認されたのが唯一の慰めだ。
 合掌【楠瀬明子】

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