LA経由で被災地救済:ネットワーク駆使―孤立病院に物資届ける

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チャーターした10トントラックの荷積み

 ロサンゼルス在住の工藤亜佐子さんは、東日本大震災で被災した高校時代の級友の医師からのSOSを受け、日本にいる多くの友人のネットワークを駆使したメールのやり取りで救援物資を送り届けることに成功した。高校時代の同期らが機転を利かし、物資調達、輸送、困難だった道路整備を可能にした。必要な物資は、孤立した病院だけではなく、避難所5カ所にも届けられた。日本から発せられたSOSは海を越え、LAを経由して被災地を救った。
 
勤務師からのSOS
ライフライン絶たれる

 東日本大震災が発生した3日後の3月14日。ようやく青森に住む家族の安否を確認した工藤さんは、日本の友達にメールをしたところ、高校時代の友達で、宮城県の石巻斎藤病院に勤務している医師からSOSのメールが飛び込んできた。
 医師は津波に飲み込まれそうになりながら、ようやく病院に戻った。病院は津波の後、水が引かなかったのでメディアが取材せず、取り残されたまま。水、電気、ガスなどライフラインは立たれた中で、次々に来る患者の診療をしていたという。病院には遺体が重ねられ、助けられない人も多くいたが、他へ転院することも不可能な状態だった。
 
高校同期が物資調達
10トントラック2台も

 メールは青森県立八戸高校同期のネットワークにも送られていたため、すぐさま、「どうやって医師と病院を助けるか」というメールが飛び交っていた。工藤さんも、LA在住で日本勤務時代の元同僚の友人から得た情報をさっそく高校同期に送った。その情報は、ある女性代議士が被災地へのヘルプをしたいが、どうしていいかわからない人への窓口になるというもの。工藤さんは、そのことを高校同期の幹事に送り、幹事はその代議士も含め、3人にSOSのメールを出した。

350個の段ボール箱が群馬の配送所まで届けられた

 そして、その3人のうち2人から返事が来て、1人は直接、斎藤病院に電話をして、どういう物資が足りないのかを聞き、もう1人は給水車を手配。難関だったのが輸送手段だ。現地では車両規制があり、特定の業者しか入れなかった。ある商社に勤めている同期は山のような衣料品と毛布を集め、どうにかトラックも手配した。しかも10トントラックを2台も。その時点で幹事が高校同期の全員にメールをし、物資を送ってくれるように頼んだ。そしてその1人ひとりが、さらに友達や家族にも依頼し、2日間で、2台のトラックに載せ切れないほどの物資を送るという連絡がきた。
 ところが、16日に国道45号線から斎藤病院までの最後の1キロが、海水とがれきのため、車両通行止めになっているという報告があった。どうしたらいいのか混乱したが、最後は徒歩でも行くという意気込みで物資の調達を続けていた。そんなある日思いがけない出来事が…。建設系の仕事をしている同期が、チームを率いて現地に突然現われ、さっと道路を整備し、そして原発処理の手伝いに去って行った。ウルトラマンのようだったという。
 そしてどんどん物資が集められ、22日の救援物資募集の締め切りまでにはなんと350個の段ボール箱が群馬の配送所まで届けられた。配送を手配していた同期は、そこで箱を全部開け、同種類のものをまとめた。そして、斎藤病院だけではなく、他の5カ所の避難所にも送るということが決まった。
 22日、ようやく2台のトラックは避難所に到着、初めて病院のスタッフに安堵の笑顔が浮かんだという。
 
テクノロジーの発達
物資輸送作戦が可能に

 工藤さんは今回の救援活動で、日本から遠く離れたLAからでも、ネットワークを使って助けになることができることを思い知った。代議士の活動を知らせてくれたLAの友達も、その情報は彼女の元職場のネットワークから得たものだった。日本での情報がLAを通して、回りまわってまた日本に戻り、そこで役に立ったわけだ。

津波による被害の爪痕が見られる斎藤病院前の道路

 阪神大震災の時にはなかった同期のネットワークが、今回の斎藤病院物資輸送作戦を可能にした。「テクノロジーの発達がこのような形で助けになるとは、思ってもみなかった」
 去年、工藤さんの同期が同窓会の幹事をやり、歴史的な参加者数である150人を集めた。「その時につながった同期のネットワークがなければ、今回のメールでのやり取りはなかっただろう」
 また、40代後半という組織での責任が重い年齢も大きく影響したと、工藤さんは考えている。工藤さんは「LAにいて、募金以外に何もできないと無力感を感じている人も多いようだが、募金も立派な助けです。これから長丁場ですので、被災地のことを忘れないことが大切」と強調する。
 「今回、一番学んだのは、情報を送ることで助けになる可能性があるということ。自分ができなくても、情報を送ることによって、2次的3次的なネットワークの誰かが、何かをできるかもしれない。そのことを確信するとともに、多くの人が助けたいと思っているという気持ちが伝わったことが、大いに励みになった」

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