神州天馬侠

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 「神州天馬侠」と聞いてわくわくするお方もおられるかもしれない。
 先日、何か読む本はないかと本箱をあさっていたら、吉川英治の「神州天馬侠」が出てきて、再読しはじめたら一気に読み上げてしまった。同氏の「新・水滸伝」を買った時ついでに購入、流し読みした後しまいっぱなしになっていた本だ。
 僕が持っているのは昭和50年刊の講談社文庫版「吉川英治文庫」の一部で、ウィキペディアによると、原本は大正から昭和初期にかけて講談社の少年倶楽部に連載された「少年冒険小説」とある。さすがにオリジナルは読んだことはないが、テレビドラマは数回見た記憶が、おぼろげながらある。
 本の後付けに、吉川と彼の担当編集者とのやりとりや、少年・少女のための小説に対する心構え、気構えが書かれてあって興味深く読んだ。
 内容も「子供用だと思ってバカにすると血ーみるゾ」ではないが、英語で言うところのページターナー。手に汗握り、これでもかと続く活劇は大人が読んでも楽しめる。文体は俗に言う講談調か、歯切れが良く、リズムがある。
 言葉遣いなどはオリジナルの雰囲気を壊さないように現代風(当時の)にアレンジしてある。文法や日本語にうるさい方は「この使い方はなっていない」などと言うのだろうが、これも生きた日本語の一つだと一人納得している。
 言葉は生き物。徐々に進化して行く以上、現在使われている日本語は30〜40年前に比べると確かに不安定、文法もくずれている。しかし、現在の日本語、あと30年もたったら「今どきの日本語は…、昔ならこう表現していたぞ」と比較の対象になっているかも。
 しかし「本当の日本語」っていつごろの言葉なのだろう。やはり終戦後の新しいシステム、現代仮名遣いなどになった当時が基本か。が、そのころの人たちも、大正、昭和初期の日本語と比べ「こんな日本語をつかって」と思ったかもしれない。
 閑話休題。この講談調の歯切れよさにつられ、つぎは、一緒にしまっておいた「自雷也小僧」に挑戦してみよう。【徳永憲治】

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