骨髄移植:「命」をありがとう、マイアミ在住の宝田初瀬さんがドナーに感謝

0

宝田さん一家。(左から)娘の陽子さん、初瀬さん、夫の広美さん、息子の隆さん=2007年9月、イタリアのシシリー島


 2009年8月に急性骨髄性白血病と診断されたフロリダ州マイアミ在住の宝田初瀬さんは、昨年3月に受けた骨髄移植のおかげで再び健康な生活を手に入れることができた。移植以来、待ち望んでいた「命の恩人へお礼の気持ちを伝えること」がこのほど、ついに実現した。
 「私がこうして生きていられるのは、善意で骨髄を提供してくださったドナーの方のおかげ。命を救ってくれてありがとう」―。
 毎年楽しみにしている日本旅行を控えた09年夏、咳が出始めた。宝田さんは、数年前からほぼ定期的に咳に見舞われており、いつものことと思ったが、旅行を控えていたためせき止めを処方してもらおうとドクターを訪れた。すると、血液検査で異常が発見され、再検査を経て専門医から突然、急性骨髄性白血病と診断を受けた。「半年前の血液検査では正常だったのに…」。突然のことに、頭の中は真っ白になった。
 病気について自分なりに調べた。化学療法、副作用、骨髄移植、拒否反応―。不安は募る。大学病院の専門医は宝田さんを前に、「あなたはとても治りにくい病気に侵されています。でも、われわれが治します」と語りかけた。この力強い言葉に救われ、病気と闘う準備ができた。
 2回の化学療法だけではがんを全滅させることができず、11月、骨髄移植を勧められた。落ち込んだが、移植後の健康な生活に望みをかけ、闘うことを決心する。ドナーサーチの結果、宝田さんと骨髄の型が百パーセント合致するドナーは見つからなかったが、型が近い候補者が複数登録していると連絡をもらい、特に相性がいいと思われる1人が選ばれた。
 そして2010年3月に移植。その後ウィルス感染により2度入退院を繰り返したが、1年半が経過した今では普通の生活を送られるまでに回復した。「ドナーの方の骨髄がなければ、私は死んでいたかも知れない。感謝してもし尽くせない」
 米国では、移植から1年が経過し、ドナーと患者の両者が望めば互いに連絡を取ることができる。宝田さんはコーディネーターを通じ初めて、自身の命を救ってくれたドナーのフルネームとメールアドレスを知った。
 
「命の恩人」はマサダさん
加州在住の日系4世

 

羅府新報のインタビューに答えるマサダさん=2010年撮影


 宝田さんに骨髄を提供したドナーは、イベントプランニング会社を経営する傍ら、羅府新報でオンライン・プロジェクトマネジャーを務める日系4世のランディー・マサダさんだった。「見ず知らずの人のために自分の骨髄を善意で提供してくれるなんて、どんな方なのか…」。はやる気持ちを押さえ、彼にメールを送信した。
 しかし、一週間が経過しても返事はない。落ち込む気持ちを励ますように、ネットで彼の名前を検索すると、彼の顔写真とともに、羅府新報の記事がヒットした。2010年6月22日から4回シリーズで掲載した特集記事「骨髄移植の真実」だ。マサダさんは、第3話で自身のドナーとしての体験を語っていた。
 記事には、優しい笑顔のマサダさんが、「つらい治療に耐えている患者さんに、生きる希望を失うな、あきらめるな、まだチャンスはあると伝えたかった」と語りかけ、「彼女が元気になってくれたら、来年ぜひ対面したいと思っている」とあった。
 「彼は今でも連絡を取りたいと思ってくれている」。そう確信した宝田さんは、羅府新報に連絡し、マサダさんと連絡を取ることができた。
 マサダさんからは、「お返事が遅くなってしまいごめんなさい。宝田さんのメールがスパムフォルダに入っていて気付きませんでした」との書き出しで、今でも、「A3M」でアジア系やさまざまな人種背景を持つマイノリティーのドナー登録を増やすため、活発にボランティアをする彼の近況が書かれていた。
 「記事から彼の素晴らしさは十分に分かっていましたが、彼からのメールを読んでいると、一層その印象が強くなりました」。宝田さんは、移植からずっと心に抱いていた感謝の気持ちを、やっと「命の恩人」に伝えることができた。「もう一生、カリフォルニアに足を向けて眠れません」
 近い将来、マサダさんと対面し、ハグできるのを心待ちにしている。
【取材=中村良子】

Share.

Leave A Reply