「絆」の現実

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 日本漢字能力検定協会(京都市下京区)が昨年の暮れに、2011年を表す漢字を「絆」と発表した。
 まずは被災者同士の、次には無事だった人たちと被災者との、いや、大きくは日本人同士の「絆」を固くして、東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所での大事故を乗り超えていこうという尊い思いを象徴した言葉だった、ということのようだ。
 しかしながら、現実は…。
 産経新聞によれば〈東日本大震災に伴い発生した宮城県、岩手県の「震災がれき」の処理について、「現状で受け入れをする考えがない」と回答した都道府県と政令市が計36団体あり、約6割に及ぶことが分かった〉そうだ。〈ほぼ全ての自治体が「放射能への不安」を理由に挙げた〉という。
 放射線量が極めて小さくても、住民の健康にとっては安全だとされていても、「震災がれき」は「受け入れない」というのが、実は、「絆」を大事にしようと口では言う日本人の本心らしい。「自分に悪影響がちょっとでもありそうなら『絆』なんかどうでもいい! 自分がよければそれでいい!」
 そもそも、日本人に、全体として、「絆」を大事にする美風があったことがあるのだろうか?
 沖縄の米軍基地の問題は? 普天間基地の移転先について、沖縄県民は「悪くても県外に」という鳩山元首相の言葉どおりに事が運ばれることしか望んでいない。戦後ずっと、日本全体の米軍基地機能の過半を小さい島で受け持たせられてきた沖縄県民にしてみれば、無理のない要求だ、と思える。
 ところが、この問題に対する、「震災がれき」を受け入れない日本(本土)住民の態度といえば…。
 米軍がやってきたら、航空機事故の心配をしなければならなくなる、騒音に悩ませられる、米兵の犯罪の被害者になってしまう…。
 「うちの県(都、道、府)に移動してもらいましょう」とはだれも言わない。沖縄県民が本土住民とのあいだに「絆」を感じたことがこれまでに、いくらかでも、あっただろうか?
 奇麗ごとを言って現実から顔をそむけていては何も片づかない。【江口 敦】

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