南加宮城県人会:創立110周年を祝う、義援金活動は継続へ

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鏡開きを行う関係者。右から3人目が南加宮城県人会の米澤会長


 南加宮城県人会(米澤義人会長)は8日、創立110周年を祝う記念祝賀会をモンテベロのクワイエットキャノンで催した。集まった会員や関係者、日系コミュニティーの代表らとともにその長きにわたる歴史を振り返り、同会のさらなる繁栄を祝した。
 1902年8月、ロサンゼルス在住の宮城県出身者16人により発足した同会は、南加県人会協議会に加盟する41県人会の中で、鹿児島、熊本に続き3番目に長い歴史を誇る。戦前は、日本政府の移民奨励制度により会員数が増えたが、第二次大戦勃発により活動は中止。
 1949年に活動を再開し、会員同士の親睦を図るとともに、渡米者の世話、県との橋渡し役を担うなど、力強く活動を続けた。2002年11月には、創立100周年記念式典を催し、県から知事や議員ら総勢200人を迎え、計380人で盛大にその歴史を祝した。
 現在は、春のボウリング大会とさくらんぼ摘み、夏のピクニック、冬の新年会に加え、4年前からは二世週祭で七夕祭りを催している。また昨年3月11日に発生した東日本大震災では、膨大な被害を受けた故郷を支援するため、地震発生の翌日からいち早く義援金集めを開始。現在までに12万ドルを宮城県に送金している。

功労者および高齢者表彰で、代表で賞状を贈られる田中満さん(左)


 8日の式典であいさつに立った米澤会長は、集まった人々に礼を述べ、震災後の温かい支援にあらためて感謝した。会長は、復興にはまだ時間がかかるとして、「宮城県の人々のために義援金活動はできる限り続けていく」と力強く語り、近日中に県人会からさらに1万ドルを送金することを報告した。
 会場では、村井嘉浩・宮城県知事からのあいさつが読み上げられ、同県人会の110周年を祝すとともに、会員らの苦労をねぎらい、敬意を示した。知事はまた、「(震災により)多くの県民が一瞬にして大切なものを失い、心にも深い傷を負いました」と述べ、同県人会から多くの義援金や救援物資など支援を受け、「皆さまと本県との強い絆をあらためて認識し、南加宮城県人会を誇りに思っております」と述べた。
 在ロサンゼルス日本国総領事館の新美潤総領事は祝辞の中で、同県人会が長年にわたり築き上げてきた歴史、また同会が主導し始まった二世週祭の七夕祭りなどを称賛するとともに、震災後の支援活動に感謝した。
 式典では、南加宮城県人会をはじめ、功労者12人と高齢者20人にそれぞれ県庁から感謝状が贈られた。また県人会からは、村井知事と、仙台市に本店を置き、同市内に18店舗を構える「白松がモナカ本舗」の白松一郎社長に感謝の盾が贈られた。白松社長は、自らが被災者であるにもかかわらず、同県人会の創立110周年のために同店自慢のようかんを120本贈呈した。
 閉会の辞に立った千葉公明さんは、名取市内で被災したいとこの最知浩一さんの手紙を読み上げた。最知さんは手紙の中で、「私たちの祖先はこれまで幾多の困難を乗り越え、一生懸命真面目に、お互いの手をとりあって生きてきました。この伝統は、アメリカでも、また被災地東北でも受け継がれています」と述べ、多くの人がまた東北を訪れられるよう被災者は一刻も早い復興へ向け努力していると話した。

義援金集めの一環で、千葉茂一さんがデザインした支援Tシャツを会場で販売する大場梅さん


 会場では、千葉さんの兄で、ノースハリウッドで「千葉レストラン」を経営する茂一さんがデザインした被災地支援Tシャツが販売された。
 式典を終えた米澤会長は、震災発生以来、義援金集めや支援活動に多忙を極め、式典準備は3カ月しかなかったことに触れ、「会員や県庁、宮城県の人々のおかげで今日を無事に迎えることができた。感謝の気持ちでいっぱい」と胸をなで下ろした。
【中村良子、写真も】

南加宮城県人会の創立110周年を祈念し集まった会員と関係者

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1 Comment

  1. may i write japanese. rafu shinpoの皆さん、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。宮城県人会、奇遇ですね。今、仙台出身のトップドラマー、渡辺豊さんにお世話になっています。今年、紅白で水樹奈々さんのバックでドラムをたたいていた。日本兵みたいなおっさんです。奈々ちゃんとあの人を見て思いました。なんて昭和チックなんだろうと。昔の日本の商店街みたいでした。今年はああいう感じが流行しそうです。ついてにリトル東京の活性化案も。日本の商店街と手を組んだらどうですか、さらにLAダウンタウン中心部の
    ’7AVとブロードウェイの活性化と再生にも協力してちょーだい。

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