長年にわたって主流だった意見が時代遅れであると誰かが勇気を持って主張した場合、今までの保身や権益を守ろうとするもっともなる意見を持ってきた人との正当論議が必要になってきます。
 この場合、大変な時間と労力をかけて論議がされたとしても結論を導こうとせずに、問題が将来に先送りされたりすることがあります。
 8月6日を世界の人に忘れてほしくない理由は、戦争の愚かさや日本の敗北を刻み付けるということではなく、人類史上初めて国や人間を滅ぼそうと思う手段に、使ってはならないだろうと誰もが考えていた核を使ったことではないでしょうか。
 核への嫌悪感が、かつては戦争放棄の精神を支え、今では核兵器や核を使った発電への違和感を形成させる一部の主張の源にもなっています。十分な科学的知識がなくても、核が人類や地球に及ぼす影響が多大なものであることを、人類は直観として持っているようです。そのような意味で、昨今の歴史が日本人の遺伝子に残した嫌悪感は、戦争と核だと言えるかもしれません。
 では正当論議に結論を出さねばならない時に何を根拠にすれば良いのでしょうか?
 臨床心理学者の河合隼雄氏は、「重心はどこにあるかと、ずっと考えていくんです。人が集まっているとそこにどこか重心があるんです」と言いました。
 ほとんどの人は戦争が正しくないと理解していても戦争はいまだに止むことがなく、核兵器を持っていることが人類にとって正当でないと分かっているにも関わらず、その保持を止めることができません。長年正当だと思われていたことに反対するには相当な力が必要で、最終的な結論が先送りにされるからです。
 こんな時には河合氏の言う「重心」がどこにあるか考えるべきです。自分が生きている上でどこに重心があるか、私たちの子孫が地球で生きていくためにどこに重心を置くべきなのか、自分の身を俯瞰して問いかけるべきだと思うのです。【朝倉巨瑞】

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