ドクター・ルビー

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 シアトル日系コミュニティーで「ドクター・ルビー」と呼ばれて親しまれたルビー・イノウエ・シュー医師が亡くなった。91歳だった。
 1949年から95年までの半世紀近くの間、日本人町の医師として信頼されると共に、現在のシアトル敬老設立への大きな力となった女性だ。75歳で医師を引退後は、診療所の土地建物をシアトル敬老の運営母体である日系コンサーンズへ寄付。以後はボランティアとして、米袋を利用したエプロンなど数多くを作っては基金集めの先頭に立って来た。
 丸い眼鏡の奥にいつも笑みを絶やさないルビーさんは、小柄な体のどこに潜めているのかと驚くほどの行動力の持ち主だった。1920年シアトル生まれ。愛媛県出身の両親はレストランを経営しており、忙しい仕事を6人の子供たちも手伝った。次女のルビーさんは高校を優等で卒業し、地元のワシントン大学へ進学。日米開戦で家族と共に立ち退きを余儀なくされた42年春は、医師を目指して勉学中の3年生だった。
 やがて夏にはアイダホ州ミネドカの収容所に。翌年、収容所を出てテキサス大学へ編入した。学位取得後は、ペンシルベニア女子医科大学へ進学。このとき、ツールレイク収容所からもう1人、日本人女学生が入学したが、この二人だけはどの病院からもインターンシップを拒否され、差別に泣いたという。結局、学校の尽力でピッツバーグの病院でインターンシップを終え、シアトルに戻って一般医として開業したのは1949年だった。
 中国出身の医師エバン・シューさんと結婚し、53年からは共同の診療所で診察に当たった。この間に取り上げた赤ん坊は1000人を超える。高校の頃まで日本語学校にも通っていたため、英語の苦手な一世や国際結婚の日本女性には特に頼られた。1男2女の子供たちは、それぞれ建築、教育などの分野に進んでいる。
 葬儀の行われた今月6日は、秋晴れの美しい日だった。シアトル日本人バプテスト教会には300人を超える人々が集い、当地初のアジア系女性医師でありコミュニティーへの多大な貢献者であるドクター・ルビーに別れを告げた。【楠瀬明子】

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