砂漠に立つ

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 19年前に2年間避寒地のパームスプリングスに住んでいた。離れた後も年に一度訪れる。まるで渡り鳥のように。
 忘れた頃に舞い戻ってくる訪問者を温かく迎えてくれる長年の友もいる。あれやこれやを話して時が経つ。
 ここでは時間はゆっくりと流れる。遠くの連山が夕日に映えて乳白色の華麗な陰影を創り出す。息を呑むほどに壮大で美しい。風の足跡が砂丘にどこまでも続く波模様を描く。見飽きることがないいつもの無音の砂漠の風景だ。
 容赦なく照りつける太陽。ここが私の原点。極限まで乾燥した大気が体の内外のカビを焼き尽くす。身が、心が、透明になってゆくのを感じる。
 多くのことが起こるLAの生活。面白い仕事とボランティア。興味深い講演、演奏会、絵画展、クラブ。その上PCを開ければ日本のニュースはすぐそこに。世界中のニュースも飛び込む。
 あらゆる知識は検索でき、You Tube という不思議な窓から世界の果てまで見尽くせる。あるいは、そう、錯覚する。
 テクノロジーのお陰でどこに住んでも世界と瞬時につながれる今日である。俊足で走り去る膨大な情報を追いかける毎日。
 これでいいのか。それらは本当に自分の血となり肉となっているのか。そこから何かを自分発信で生み出せているだろうか。考える。
 最近は日本でも地方在住者から世論を引っ張って行く考えや生き方が提示されることが少なくない。世界情報を頭の中に詰め込んでも、現実の生活は今も昔も変わらず、今、ここにしかない。
 一地方が私の生活の土台で、人生の舞台だ。時々、砂漠の中に帰りたくなるのは、目指す方向にぶれがないかを確かめたいためかもしれない。
 ちっぽけな人間などものともしない過酷な砂漠。それ故にその過酷さに対抗するものを創りだしたくなる。
 砂漠の連山は今日も薄紫の姿でそそり立ち、何故か励ましてくれる。好敵手のように。【萩野千鶴子】

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