なんで「もちろん」なんだ?

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 1988年の秋ごろだったと思う。今年の文化勲章受章者の一人、映画監督の山田洋次氏がロサンゼルスにやって来て、自らの新作(早坂暁氏の自伝的小説が原作)の映画「ダウンタウン・ヒーローズ」の試写会を行ったことがあった。会場はウィルシャー通り沿いの劇場だったと記憶している。
 予期しなかったことが起こったのは、試写会が終わったあとのロビーでだった。映画を見終わって寛いだり、飲み物を楽しんだりしていた招待客の中の一人の、地元の映画担当記者だと思われる男性が声をかけてきたのだ。わたしが首から下げていた記者章を見てのことだった。男性は「あなたは日本人か。そうだったら、ちょっと尋ねたいことがあるんだが…」と切り出した。
 質問の内容は「映画の終わり近くで、(松山高等学校の生徒である)主人公(洪介)は、長く思いつづけてきたマドンナ(房子)と相思相愛の仲になったはずなのに、英語の字幕では最後に〈もちろん、2人は結ばれなかった〉とあった。なぜ〈もちろん〉なのだ? 結ばれるのが〈もちろん〉なのではないか」というものだった。
 「あの(旧制高等学校があった)ころの日本では、学生時代の(初)恋はふつうは実らないものだ、という共通の了解があったのだ」というような説明をすると、その男性は、半ばだけ理解できた、という表情で去っていった。
 驚いたのは、おなじ質問をしてきたのがその男性一人だけではなかったことだ。「もちろん」というのは誤訳ではなかった。大方の日本人には素直に理解できるナレーションだった。だが、この映画を見たアメリカ人にはそれが分からないとなると…。
 そんな質問を複数回受けたことを山田監督に伝えておくほうがいいと思った。周囲の招待客との話が途切れたときに監督に声をかけた。監督は、あ!、というような表情を見せたあとで、字幕では「しかしながら」としておくべきでした、とつぶやいた。
 文化を他国に伝えるというのは、思いのほかに難しいものだ。【江口 敦】

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