毎年、4月になるとどうしても書きたくなる事がある。
 35年前、トランク一つでアメリカ中を渡り歩いた。米国進出した日本製品をデモンストレーションし、売る仕事だった。アラバマから始まり、南部、中西部、東海岸の各地を訪れた。すべてが新鮮だった。各地の雄大な景色に圧倒された。
 そして、いよいよ憧れのロサンゼルスに入った。映画の街ハリウッド。真っ青な空に突き立つパームツリー。の、はず。ところが、目にする現実の風景は古ぼけた建物と老朽化した高速道路。その脇のゴミ。街全体を覆う黄土色のスモッグ。「なんて汚い街」ガッカリしたのを憶えている。
 ここに住み始めたのは22年前。春を迎えた。まあ、その美しいこと。今度は仰天した。
 フリーウエーの沿道にいっせいに野花が咲く。黄色、白、紫。春の陽光を浴びて輝く。別世界だ。手入れなし、わずかの水。それだけでこれほど見事に咲けるのか。車は音をたてて走り去る。花はただ目いっぱい咲き誇る。「私、花です。春だから咲きます」と宣言するかのよう。その強さ、けなげさに胸が締め付けられた。以来毎年、春が待ち遠しい。
 パームスプリングスへ行く道中の山々も大変身する。黄色いマーガレットが山一面を覆う。ルーピンに覆われた紫の山。それが交互に現れる。息を呑む光景だ。車の中まで春の色香が漂ってくる。そのまま砂漠に入れば、花弁の端を桜色に染めた昼顔に似た白い花が砂の上を這う。砂漠にも春が来る。
 砂漠の春というなら、やはりラスベガスが一番だろう。ここに10年住んでいた。住めば都だが暑さだけは半端ではない。脳味噌までカラカラになって、思考能力が奪われる。冬は凍てつく風が吹く。そして春。
 砂漠が黄色くなっているのに気付いた。「何だろう」それは無数の黄色いデイジーの野花だった。その時の驚き。一体どこから水分を探してくるのだろう。不思議でしようがない。
 「どこにいようと、どんな花であろうと、花なら咲こうよ」可憐な野花に励まされた。春はやはり野花のことを書かずにはいられない。【萩野千鶴子】

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