手紙

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 急に日本行きを思い立った。義姉が入院したというので、日頃の疎遠を反省しつつ、取り急ぎまず、出かけなければと思った。それで、いつ何が起こるかと思うと、少し片付けて、と思って紙類の整理、手紙の整理を始めた。
 折り紙や新聞は、割合容易にできたが、手紙や写真はどうにも難しかった。手紙は捨てられない性質なので、どんどんたまっていって場所をとっている。
 誰から、いつのものと一通ずつ見ていると、時間ばかりが経って本当に片付かない。特に鬼籍に入られた方からのものは、この手紙を書いた後に変化があった、入院したなど、確実に齢を重ねているのに手紙の文字は変わらずしっかりしている、というように思い出が走馬灯のように回ってくる。
 それにしても、最近は手紙の数が減っている。書く人たちが鬼籍に入り、若い人たちは手紙ではなくEメールで連絡してくるからだ。かさばるどころか、消去してしまえば跡形もない。思い出に浸るどころか、もらったことさえ記憶に残らないこともある。最近は、日本にいる友人ともメールの交換になったが、それもお互い忙しい身、年に数回。
 その友人たちからの手紙を見つけた。器械が打ち出す均一の文字ではなく、あっ! 見覚えがある字。そして、文体も。メールでのやり取りはあるので疎遠ではないが、本当に懐かしいと思った。今回できたら会いたいと切に思った。
 手紙は字体、文章の癖、全てに人柄が出るから、簡単に捨てられない。その時の気分や体の調子が表れるから、その人を思い浮かべられる。終活に向けて、片付けることを心がけなければならないのに、困ったことだと思った。
 何か、今受け取ったかのように、新鮮に読めて、鬼籍に入られた方々とのいろいろな状況を思い出して、しばし感慨にふけった。
 片付けは進まなかったが、忙しさにかまけて大事な人の存在を忘れていた自分に気付かされた。終活も他のものは、捨てることができるが、手紙はやはり後回し、最後に捨ててもらうことでいいかなと思った。こういう、感慨や情緒から遠ざかる現実、ちょっとさびしいかな。【大石克子】

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