「民度」について

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 先月、任務を終えて日本に帰る新聞社の特派員A氏と最後の昼食を共にした。いつも、帰国する駐在員には必ず、アメリカの印象について聞くことにしている。A氏の場合は、「アメリカは日本に比べると民度が高いですね」とさらりと言ってのけた。「民度が高い」とか「低い」という、「民度」とはなにか。
 A氏には突っ込んで聞かなかった。なんとなく、分かったような気がしたからだ。「民度」を生活水準(the standard of living)と考えれば、水洗便所の普及率やディスポーザーのない日本のことを思い出す。文化水準(the cultural standard)ととらえれば、電車内での痴漢行為、セクハラ、氾濫するポルノ雑誌、深夜テレビの低俗番組などが頭に浮かんでくるからだ。
 その一方で、財布を落としても必ず戻ってくる、若い女性が深夜に一人で歩いていても安全なのも日本。どこの店に行っても丁寧な対応をしてくれるのも日本だ。これも「民度」といえる。
 長いこと東京に駐在していたアメリカ人の知人にA氏の話をすると、「そうかなあ、民度は日本のほうがずっといいよ」と反論されてしまった。
 社会学者によれば、「民度」とは、「集団の人々により確立された社会の共有知識と共有価値観」。大久保利通らが議会開設を遅らせ、薩長藩閥による「有司専制」を維持する理由の一つにあげたのが「民度の未熟さ」だった。
 いずれにせよ、アメリカ合衆国は多民族多文化の国。いろいろな価値観が混然一体となっている。その意味ではA氏は「民度の高い」アメリカ人に数多く出会ったのだろう。
 その「民度」で最近ひとつ気になることがある。朝夕、犬を連れて散歩すると、必ず二、三ヶ所で未処理の犬の糞に出くわす。どうしてこんな最低限度のマナーを守れないのか。〈日本ではありえない〉とぶつぶつ文句を言っていたら、「(東京の)多摩川べりの糞公害」という記事が日本の新聞に出ていた。
 こうなると、「民度」とは国とか国民といった文化人類学的な話ではなく、まさに個々人の問題になってくる。言ってみれば、幼い時の躾と無関係ではなくなってくる。
【高濱 賛】

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