「後の祭り」にならぬように

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 「ああすればよかった」「こうすることもできた」などと、日常の暮らし、仕事において思うようにいかないことが多々あり「後の祭り」を繰り返す。昔の人がよく言ったもので、このことわざは、終わったことはどうすることもできないことを上手く表現している。
 その祭りに関してである。今年の夏も二世週祭が催された。このお祭りは、里帰りがなかなかできない人には日本を懐かしみ、米国人や他国出身者に対しては日本と日本文化を紹介し、日系社会の存在感を高める上でも重要なイベントである。10年ほど前から私は毎年、仕事を通して参加しているがここ数年、来場者の数が滅法減っている。毎年「今年も来る人が少なかったなあ」と、祭りの後の静けさと重なり、寂しい思いは増すばかりだ。来場者数は成功を判断する基準なので、対策が急務である。
 話は1970年代の終わりから80年代初めにかけて遡る。同祭が最盛期だったこの時代のことを日舞のお師匠さんから聞かされたことがある。グランドパレードは、開始1時間以上前から黒山の人だかり。ルートを短縮しても沿道の隙間を埋めることができない今とは比べ物にならない。踊りの社中や他の参加者は「すみません。パレードに出ますので、通して下さい」と、群衆をかき分けて進み、ようやく出発地点に辿り着いたというから驚きだ。それだけ大勢の人から拍手や掛け声の応援を受け、踊り甲斐があったと、師匠は往事を偲ぶ。復興を望みたい。
 日系では、二世週祭のように諸団体が地元社会と米国国家、日米関係のために尽力している。これらは非営利が多いため、ビジネスとは異なり、資金難や人材不足などと問題が多く、関係者は歯がゆい思いをしている。代表がコロコロと入れ代わるのもいいことではない。「改革」などと叫んでも、短い任期の1年で退くことが分かっていれば、何もしないで終わってしまうことは目に見えている。後任に受け継ぐものは、「未解決の山積した問題だけ」と嘆く人もいる。
 何事も後の祭りでは済まされず、失敗を教訓にしなければならない。そして、失敗に気づかない人もいるので、教えながら応援しなければならない。【永田 潤】

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