長崎から平和を考える

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 8月。蒸し暑いにもかかわらず、雨も降り出した長崎の稲佐山の芝生に腰を下ろして、平和について考えました。この日、さだまさしさんの呼びかけで手弁当で集まったアーティストたちが、「長崎から東北へ」向けて歌を唄うという野外コンサートに参加したのがきっかけでした。
 さだまさしさんがコンサートで伝えたかったことは平和を求め続けるということ。「みんなで集まって音楽を楽しめるということが平和であり、自分の隣にいる大切な人を思うことから平和がはじまる」というメッセージでした。福島から子供たちを大勢招待し、被爆した長崎から、被ばくした福島に向けて、そして、被災した東北へ向けて歌声が響き渡りました。
 悲しいことですが、戦勝国であるアメリカの学校では、日本の侵略戦争を終わらせるために原爆の投下が正しい選択であったと教えます。原爆どころか、戦争という状況下においても、人を殺傷することのどこにも、正論は存在しません。正しい戦争などないからです。同じように、核兵器の存在を正義だと言える論理も存在しません。本当は間違っているということがわかっているのに、誰もが正義ではないとわかっているのに、戦争は特定の誰かの利益のために終わることはありません。かつて敗戦して、占領されてしまった国では、戦争の傷を受けなかったかのごとく振舞うのが、生きる術なのかもしれません。
 ですが、平和というものは、単に願うだけで空の彼方から降ってくるわけではありません。心から望み続け、平和の理念を守り続け、アクションをし続けることで、はじめて平和をつかみ取ることになります。そう、平和は、つかみとるものなのです。
 アメリカに住んでいる方だけでなく、世界中の方々が広島を訪れ、長崎を訪れ、そして福島を訪れることで、今でも続いている体や心の中の傷を共有し、平和の尊さを知ってほしいと願います。遠いアメリカから東北にできることは、大きな声で思いを伝え続けることなのです。【朝倉巨瑞】

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