英語でも記事を執筆するようになり4年が過ぎた。今年からは英語のコラム「Ochazuke」も始め、日本語に加え、外国語で書く楽しさを満喫している。
 東海岸の大学でジャーナリズム科を専攻する前、英語力向上のためESLを履修した。そこで出会ったカーネル・サンダース似の先生は、私のライティングの恩師。25年間、世界中からの留学生に英語を指導している。
 その豊富な経験から、先生は文章を読むだけで学生の出身国が分かる。かくいう私も、最初に提出したエッセイで「文章が回りくどく、結論が最後にきていることから、これが日本人によって書かれたものなのはすぐに分かった。日本語で考えて書いていては、英語のライティングは上達しない」と一蹴された。
 先生は、「その国の歴史や社会、文化を反映した言語にはそれぞれ独特の表現があり、他の言語で言い換えられない」として、「自然な英語を習得したければ、英語で聞き、英語で理解し、英語で考え、英語で話し、英語で読み、英語で書く癖をつけなさい」と指導した。英語独特の表現に出会うたび言葉の魅力をあらためて感じ、逆に日本語の美しさも再認識した。
 先生の教えは、「きちんと間違いなく書く」というよりはむしろ、「自分の気持ちをどれだけ素直に言葉で表現できるか」に重点が置かれており、ダンスや歌など芸術作品を通じ自己表現するように、文章もその手段の一つであると教わった。リズム感や芸術的センスがない私にとって、やっと自己表現できる場を見つけられ、それが今の仕事につながっている。
 そんな、人生の指針を示してくれた恩師が今年、退職する。知る限りの元生徒に連絡を取り、昔と今の写真を集めたフォトブックを贈ることにした。
 私の元には今、元生徒から続々と、先生へ送る感謝の言葉やエピソードが届いている。そこには、教師という枠を超え、アメリカに不慣れな留学生を支えた「父親」のような姿が見える。写真集を通じ、「子どもたち」の成長を見てもらいたい。【中村良子】

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