かなり前から長崎の「隠れ切支丹」に興味をもち、関連する本を読みあさっている。切支丹は、ポルトガル語のCristaoから由来する。1549年フランシスコ・ザビエルの布教以来、日本に広がったキリスト教(カトリック)およびその信者を指す。江戸幕府に邪宗として徹底的に弾圧されたが、それに耐え、信仰心を守ってきたとされている。多くの殉教者も出ている。
 ところが最近出ている本を読んでみると、①彼らが命がけで守り通したものはキリスト教とは異なる土着宗教や先祖信仰などが習合した独自の宗教だった②聖書も宣教師もおらず、口承のオラショ(キリスト教の祈祷)も唱える信者自身その意味が分からぬ外来語の変型だった③切支丹であることは隠しながらも村の行事に参加し、檀那寺で葬式を挙げるなど地域社会の一員だった―ことが分かってきた。(『カクレキリシタンの実像』宮崎賢太郎著、『潜伏キリシタン』大橋幸泰著など)
 何百年の間、生き延びてきた切支丹。実は、唯一最高の神、デウス(ヤーウェー)に捧げるキリスト教には違いないが、いつの間にやら自然崇拝や先祖信仰といった民俗的要素がブレンドされ、多神教的な宗教になっていた―と著者たちは大胆に結論づけている。無論、反論されるのは覚悟の上のようだ。
 「日本人は神であれ、仏であれ、その信ずるところを信じて、神も仏もともに一緒にとりいれてしまうところがある。日本人の信仰心というのは、信仰に基づくいろいろな行事に参加することで、無意識のうちに形成され、維持されている」(菅原信海=天台宗妙法院門跡=著、『日本人と神たち仏たち』)
 つまり「隠れ切支丹」もまた、菅原門跡が説いている「神も仏も一緒に取り入れる日本の宗教」の一つだったことになる。その「おおらかさ」にこそ、なにか「日本的」なものを感じる。
 自らの狭量な信仰心でしか、世界が見えないイスラム教過激派分子の蛮行を知るにつけ、彼らに「日本人の信仰心」の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたくなる。【高濱 賛】

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