希望にしがみつく

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 最近日本のニュースで、中学生、大学生の若者が身近な人を殺す事件が相次いでいる。特別の怨恨ではない。友人だったり、顔見知りだったりの間柄である。実行を密かに準備し、チャンスを伺っていたと思われる。犯行後に理由を聞かれ、「人を殺してみたかった」という返答に、深刻な何かの欠落を感じる。
 数年前「なぜ人を殺してはいけないか」という質問が識者に投げかけられたことがあった。いろいろな答えが出たが、適切な答えを探して苦慮している様子が伺えた。単純な質問だが、全うに答えるのは意外に難しい。
 目を引いたのは、解剖学者の養老孟司氏の答えであった。「生き物は一度命を失うと、取り戻せないから」毎日、死体を見てきた人の言葉は単純明快であった。
 財産をなくした、家をなくした、仕事をなくした。また、取り戻せる。しかし、生命はハエ1匹でも殺したら再生できない。人の命は取り戻せない。その二度と戻らない大切な命への畏怖が、近年薄れ始めていないだろうか。
 時代は急速に変化している。ITの発達で、一地方からでも世界で何がおこっているかを即時に知ることができる。知る事は良いことだが、その映像や情報に翻弄されるという危険もある。世界の一部では人々が豊かな暮らしを楽々と得ていると誤解する。虚構かもしれない映像におしつぶされる。自分の生活を卑下し、居場所をなくした社会に反撃の目をむける。うっぷんをはらす手っ取り早い方法として社会を、人を傷つける行動に走る。人は希望の光が見えなくなった時、絶望へと突っ走る。他人の命をまきぞえに。
 絶望と希望の間を行ったり来たりするのが若者の特徴であるが、夢や理想はそう簡単には成就しない。それを身をもって知るには、時間がかかる。希望にしがみつく忍耐もいる。
 ギリシャ神話に人類の最初の女性のパンドラが好奇心から、あらゆる絶望、不幸をつめこんだ「箱」を開け、それらが世界に溢れ出てしまったという話がある。しかし、箱の底にひとかけらだけ残ったものがある。それが「希望」だったとか。希望を手放してはならない。【萩野千鶴子】

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