小東京にある高齢者昼食会(Little Tokyo Nutrition Services)で一緒にボランティアをしている、高齢者の方が「(LA)ダウンタウンで長いこと働いていたのに、こんなところがあったなんて知らなかった」と言った。彼は引退してから、知り合いに紹介されてボランティアをするようになった。日系社会で40年近く活動を続けていても、関心がなければ知らずにいる。
 渡米して20年、彼らより滞米年数が短くても昼食会や敬老との関わりはあった。初めて米国を訪問した1983年に、思いがけなく敬老看護ホーム、今はない南敬老看護ホーム、現在の敬老引退者ホームと中間看護施設を訪ねる機会を得た。
 当時の日系引退者ホームは、現在の建物ではなく場所も違っていた。居住者とも知り合いになり文通も続いた。彼らは、創設者の和田勇さんのことを語るとき誇らしげだった。今の建物のように広い部屋ではなく、浴室トイレは共同で、廊下や階段は狭く暗かった。ただ、建物のすぐ側には鯉が泳ぐ池があった。今でもあるが、鯉の高齢化が進んで減っている。居住者の目を楽しませたいと全日本愛鱗会南加支部が錦鯉と池を贈ることを考えた。その池を作る資材の費用に寄付が集められ、毎土・日に手弁当の会員が作業に当たって、半年以上かけて作られた。
 日系引退者ホームが開設されるとすぐに、寄付金集めの非営利団体愛友会が組織され、活動を開始し施設で必要とする什器備品の購入、改修費用の捻出などを行ってきた。
 地震で現在の建物に建て替えられて、快適な居住空間になった。不便な生活から一転したが、居住者会は節水節電を行うことを申し合わせるなど、施設運営にも協力的だった。
 これは、渡米後に当時の居住者から聞いた話で、今入居してくる人たちは、私たちが守ってきたことをしてくれない、とぼやいてもいた。
 日系社会の宝は、このように多くの人たちの努力でつくられた。関心を持って日系社会の形成、変遷を知っていく必要があると思う。
 敬老の4施設の売却でにぎやかだが、当時の状況と現在の状況を鑑み、現実に何が必要で、何ができるのか、何をすべきかを考える時だと思う。【大石克子】

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