お土産文化

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 今年の夏は千客万来だった。日本からは仕事上の知人はじめ中高生の姪と甥、東部から来た娘の友人など入れ替わり立ち代わりやってきては拙宅で旅装を解いた。今流行りのAIRBNB(現代版民宿)並みの賑わいだった。
 日本からの客人は必ずお土産を持ってきた。鹿児島特産の芋焼酎や山本山の高級海苔だったり、ヨックモックの菓子詰め合わせだったりした。
 お土産はありがたく頂いて終わりではない。客人が日本に持って帰るお土産の買い物に付き合わねばならない。
 日本人にとってはお土産は「お餞別」と同様、「ねばならない習慣」になっている。その風習は今のティーンエージャーにも脈々と生き続けている。
 中学三年の甥っ子になぜ? と聞くと、「だってそういうことになっているんだもん」と仏頂面で答えた。「誰に買うの?」と質すと、「学校の仲良し」。
 成人の場合は、その対象はご近所や職場の同僚にまで広がる。研究者の中には「日本人の『お土産文化』は『お土産強迫症』にすらなっている」と宣(のたま)うものもいる。
 どこへ行ってもお土産を買い求める日本人の姿は欧米人には異様に見えるらしい。欧米メディアなどでも、若干、冷笑的に取り上げられている。
 「お土産」の歴史は古い。一説によると、「土産」は「宮気」(みやけ=神のいます場所)、「宮笥」(みやげ)からきた言葉だとか。参拝した神仏にまつわるお守りやお札を持ち帰ることで自分が授かった神仏の恵みを親類縁者にお裾分けするところからきている。「語源由来辞典」によれば、室町末期以降、「みやげ」の当て字として「土産」が一般化したらしい。
 現代の日本人の「お土産」はそんな故事来歴とは全く無縁だ。が、異国の地で作った思い出を行かなかった友と分かち合う、併せて友情の絆をさらに深め合いたい、そんな気持ちを「お土産」に託してそっと伝える——その心は「いにしえの人たち」にもあったのではないだろうか。
 東京五輪決定を機にすっかり定着した感のある「Omotenashi」(おもてなし)とともに「Omiyage」(おみやげ)は、「大和心」のキーワードになるかもしれない。【高濱 賛】

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