11月3日、文化の日、朝食後遠くからドーンドーンと太鼓の音が響いてきました。音は次第に近づいてきます。「行ってみよう。行こう行こう」と急き立てられ外に出ると、法被を着た先導の人たちに続いて台車に載せられた太鼓を叩きながら御神輿がやってきました。都心のような華やかなねじり鉢巻きではなく、法被姿にジャンパーや子供たちは野球のユニホーム姿です。御神輿も小ぶりで担ぎ手も12~13人。よく見ると近くの町内会の御神輿でした。
 見物人も小さな法被に日の丸の鉢巻きで三輪車に乗った女の子や、乳母車に赤ちゃんを乗せたお母さんなど、飾らない普段着の人たちが続き、しんがりは世話役の人たちが電柱に貼ったお祭り告知の紙を剥がしながらついて行きます。太鼓の上にも金色の鳳凰が揺れ、叩いているのはユニホーム姿の小学生。どの顔もニコニコと心からお祭りを楽しんでいます。
 ここ、川崎市宮崎台は武蔵野丘陵の一部で坂の多い街です。町内を練り歩いた御神輿はやがて近くの公園にある子どもセンターの前に安置されました。木沓(きぐつ)を履いて手に笏(しゃく)を持ち装束に身を固めた神主さんが祝詞をあげ、世話役一同は後ろに並んでこうべを垂れて礼拝します。見物人は子ども連れのお母さんたちが多いのが目につきました。中に犬と3~4歳くらいの女の子を連れたお父さんが目につきました。女の子は尻尾をつけた毛皮色のズボンをはいており、犬と並んだ姿がなんとも微笑ましい。
 神事も簡単に終わり子供たちはそれぞれに大きなお菓子の袋をもらって嬉しそうです。そこには華やかさはないが日常生活の延長で、住人の結束をはかる素朴なお祭りの原型がありました。秋祭りは農家の収穫が終わり、一年中忙しかった人たちがホッと一息つける時期に行われました。昔は学校の運動会も秋に行われていました。人口の大部分が農民だった社会が変わり、運動会は春や夏に行う学校も出て、治安上の理由で関係者しか入れなくなりました。祭りや運動会は家族でハレの日のご馳走を囲む楽しい記憶として残り、大切な結束力だったのです。こんな小さなお祭りが身近にあることに感動しました。【若尾龍彦】

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