戦闘体験の真実を英語で伝える:使命感燃やし、執筆活動

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親日家ダニエル・キングさん

チノ航空博物館に保管されている零戦を背にポーズをとるキングさん

 日本に10年暮らし、猛勉強で習得した流ちょうな日本語を駆使し、第2次大戦で世界各地で戦った旧日本軍の復員兵から当時の証言を集める、テキサス在住の親日家ダニエル・キングさんは、戦争関連の書物や写真集の刊行をライフワークとする。戦闘体験者とともに、かつての激戦地を回る活動を継続し、日米の英霊を慰めながら「戦争の真実を英語で書いて、世界に伝えることが私の仕事」と使命感を燃やす。【永田 潤】

人生を変えた訪日体験
16歳の米少年、憧れ抱く

 1981年夏、「YFU(Youth For Understanding)」という訪日プログラムで、神奈川県鎌倉の西の藤沢に2カ月間のホームステイを経験したことで、16歳の米国人少年の人生が変わった。「言葉と食事、文化、お寺や神社の古い建築物に興味を持って、いつか住みたい」と、日本に憧れを抱いた。
 大阪、京都に住むホストファミリーの親戚を頼り、1週間滞在し「この国は、おもしろい。食事もおいしかった。日

浴衣姿の16歳当時。鎌倉でホストブラザーと

本食は、今でもすごく体に合っている」。神社仏閣を巡ると元々、歴史好きだったこともあり「わずか200年ほどの自分の国よりもずっと長い年数が経っている。これは、勉強しなければならない」と思い立った。
 出身は、加州オレンジ郡オレンジ市。カリフォルニア州立大ロサンゼルス校での専攻はやはり、日本語だった。卒業後、すぐに再訪日し、YMCAで英語を教えた。
 1年後、トヨタ自動車に正社員として採用された。入社して半年は、工場のカローラの組み立てラインに配属され、「Just in Time」などのトヨタ独自の生産方式を「自分の体で学んで、(自分の持ち場は)1台86秒で仕上げた」。89年当時はバブル期の好景気に沸き「すごく生産量が多かったので、1日11時間作業した。8キロやせた時もあり、死ぬかと思った」と、がむしゃらに働いた。
 約7000人の作業員の中で、米国人は自分1人。「怠けたら『アメリカ人はそういうもの』だと、思われたくなかったから、『負けないぞ』という気持ちで、頑張ることができた」。本社勤務では「豊田章一郎さん(第6代社長)と、張富士夫さん(第8代社長)にも何回も会うことができ、いい思い出になっている」
 作業報告書の作成は日本語で苦労し、毎晩遅くまでかかった。インターネットのない時代だったので、辞書を片手に「これは、にんべん、これは、ごんべん」などと、意味を調べ「わかった」と、喜んだのも束の間、次また調べ「入社して1年間は、とても苦労し、上司にとても迷惑をかけてすまなかった」。同僚からも「漢字の意味や、言葉の使い方など、親切に教えてもらった」と、恩は今でも忘れはしない。

性格に合っていた日本
「楽しかった」10年間

 日本の生活は「人々が約束を守り、高齢者を敬い、電車が時間通り正確に運行され、町はゴミがなくきれいで清潔、落書きもない」と、自分の性格に合っていた。

91年当時のトヨタの豊田章一郎社長(左)と記念写真に納まるキングさん

「アメリカは歴史が短く、自由があり過ぎる」という母国との違いに驚いた。
 「日本の社会は、よくできている。学校で礼儀を教えるのがいい」。愛娘シンディさんを通わせた幼稚園では「助け合いや、自分の汚したものをきれいにしたり、使った机を元に戻すことなどを教えていた」となどと、幼い頃からのしつけが、特に気に入った。
 キリスト教徒だが、仏壇の前で手を合わせて拝み、先祖を尊敬する姿を目にし「先祖のことを代々伝えていて、家族の絆ができる。とてもいいことだと思った」
 「京都と奈良のお寺と神社のほとんどすべてを回った」といい、木材を組み合わせて作る建築と、彫刻の装飾に魅せられ「1000年以上も経っているのに、今でも建っているのがすごい。京都と奈良は、自然を大事にしていて、自然を守りながら、古代と現代が調和している。奈良は鹿が歩き回り、山がきれい」
 10年間の滞日は「楽しい思い出ばかり」

体験談集め続け、101人
「調べるほど、おもしろい」

 戦闘体験に興味を持つきっかけは、日本人の妻の叔父で、岐阜に暮らした山田五郎さん宅を訪れたことからだった。部屋に写真が飾ってあり「これは、日本軍の潜水艦ですか? わー、すごい」
 山田さんは「USSインディアナポリス」を撃沈した「伊号第58潜水艦」の魚雷室で勤務した元乗組員だった。「どんな軍事教育を受けたか?」「入隊のきっかけは?」「軍隊生活は? 戦地での体験は? 戦後の気持ちは?」などと質問攻めにした。
 山田さんの体験を英語に訳して、テキサスの太平洋戦争博物館(旧称ニミツ記念館)に投稿し、ニュースレターに掲載されたのが、文筆活動の始まりだった。反響を呼び「もっと書いて、聞かせてほしい」という手紙を幾通ももらい「予想以上に受けて、びっくりした。書いてよかった」
 その後も、戦友を次々に紹介されて「零戦乗り、紫電改乗り、空母、駆逐艦、潜水艦の乗組員たち、パラオ玉砕の参加者など、いろいろな人に会った」。体験談を集め続け、その数は101人に上る。
 生々しい証言を録音して、何度も聴き直す。「入れ歯の人もいるので、うまく理解できないこともあるけど、友達にも聴いてもらい『ああ、そういうことか』」と、分かるとおもしろい。調べるとどんどん、おもしろくなって、また調べたくなる」

著書3冊、2冊を執筆中
一番人気は「最後の零戦」

 初めて出版した作品は、日本軍の盃の写真集。ガラクタ市で集めた明治時代から終戦までに制作された各種の盃を主に、とっくりと、お盆を取り上げた。

講演会で熱弁をふるうキングさんの背面スクリーンに映し出された各自著の表紙。左から「日本軍の盃」「硫黄島という墓場」「最後の零戦」

 盃は、部隊ごとにデザインが異なるため「これは、ビルマ(戦線)に行ったんだな? 60年、70年前の人が、どういう体験をしたのかを想像する。この連隊の盃は、フィリピンにいたんだな。タイムカプセルみたいで歴史を語っているようで、おもしろかった」。1点3、400円で安く買えたため「知らないうちに、2000個集めた。どうしよう?」と考え、写真家と出版社に相談すると「おー、いいじゃないか」と勧められ出版した。
 盃のほか、寄せ書き(日章旗)、軍靴、帽子などが、300円や500円、1000円で売られていた。遺族にとってはゴミ同然で処分され「兵隊さんの人生を物語っているのに、かわいそうに思った」こともあった。
 2冊目は「もっと意味のある戦闘体験者の本を出そう」と、心に決めた。米国人に関心が高い零戦パイロットに焦点を当て、5年を要し「Last Zero Fighter」を出版した。海軍に絞った理由は「陸軍とは考え方が違うし、戦った場所も違う。同じ本で紹介するには合わないから」
 当時の「最後の零戦操縦士5人」のうちの1人の原田要さんの長野の自宅を3回訪れた。一緒に真珠湾とミッドウェー諸島を訪れたのは「体験者の話を聴いただけでは、イメージが沸かない」から。

零戦の元パイロットの原田要さん(右)の話に耳を傾けるキングさん

 ジャングルは、暑い、虫が多い、水が汚いなどを確認し「想像して書いてはダメ。戦場に行くことが大事で、実際にガダルカナルに行って『こういう感じだったんだ』と分かった」。硫黄島、グアム、ガダルカナル、サイパン、ラバウル、パプアニューギニア、トラック諸島、すべて回った。
 真珠湾やミッドウェーなど、歴史的な戦いは米国人の関心は高い。そして「やっぱり、パイロットの話なので、アメリカ人はみんな読みたがった。最初は100冊くらい売れればいいなと思っていたが、最初の1年で1万2千部くらい売れた」「(小説と違い)実際に零戦に乗って戦った人の話なので受けたと思う。英語を話す人に読んでもらって喜ばれうれしい」
 ドイツ、ブラジル、中国など、さまざまな国から手紙をもらい「読者は飛行機好きで、美しい零戦好き、太平洋戦争に興味がある人ばかりで、世界中に零戦のファンが多いことに驚いた」
 「A Tomb Called Iwo Jima(硫黄島という墓場)」が3冊目。硫黄島戦の帰還兵、秋草鶴次さん(元海軍通信兵で、同書表紙のモデル)に手紙を書き、返事をもらい、2009年に会いに行った。「これは貴重な体験だ。本を出さなければならない」

硫黄島の摺鉢山頂上で、握手を交わす日米の元両兵士。左がジョン・スキナーさん、右は秋草鶴次さん。=2015年撮影

 秋草さんとも硫黄島に行き、戦友を紹介してもらい、硫黄島に着陸したパイロットも見つけた。計13回も行った硫黄島では、栗林忠道(陸軍大将)の未亡人と、長男太郎さん、孫の新藤義孝さんにも会った。硫黄島周辺で、米海軍の艦船に突っ込んだ神風特攻隊員の妹にも会って、本を完成させた。
 4冊目は、米爆撃機「B—29」に搭乗し、撃墜されて北朝鮮に2年半、抑留された父親の体験記を現在、執筆中で今年、出版予定。
 5冊目の「桜花」(特攻兵器の特殊滑空機)は、2年間かけて書く予定。出版は、2018年の冬頃。
 執筆作業は、1冊だいたい2年から3年かかるという。

遺品、遺骨を収集、慰霊も
ぺリリュー、「もちろん書く」

 「こんな所に、日本人のおじいさんがいる」。2002年3月に行ったパラオ・ぺリリューで、戦車の横に1人で座っていた老人を見つけた。
 —「こんにちは。何をされているのですか?」
 「友達を探しているんです」
 —「どこに友達がいるのですか?」
 「ここにいます」
 手に提げていたビニール袋を開けた土田喜代一さんは、元海軍上等兵。後に編制された海軍応急陸戦隊に加わったが、終戦を知らずにジャングルの中に隠れて戦い続けた。47年の夏に、34人の仲間とともに帰還した。見せた頭がい骨は、銃弾が貫通した跡が見られた。
 土田さんと親友になり、一緒にぺリリューに4回行った。洞窟に入って戦没者の遺品や遺骨を収集し、納骨式をし、お清めをした。元米兵でぺリリューの戦闘体験者3人を連れて、土田さんに会わせて通訳をしたこともあった。かつての敵だったが「みんな、握手して、抱き合って、笑って、『生き残ってよかったね』」
 ぺリリューについても「もちろん、いつか書く」
 実際に戦った人は、かつての敵に会ったら、絶対に握手して、うれしくて抱き合う。戦闘を知らない人に限って「オー、J○P」と、バカにする。戦った元米兵は、元日本兵を尊敬していて、恩讐を越えて「あいつらは、強かった」とたたえる。特にサイパンとぺリリューの戦いで「日本兵はとてもタフで、手強い敵だった」と、よく聞くという。

日米で異なる伝え方に疑念
「ゼロに近い」日本側の英語資料

 子どものころに聞いた「日本兵は、子どもも殺した」や、テレビ番組や映画を見て知った「真珠湾の奇襲攻撃」などの先入観を持っていた。だが、調べると実際は間違いが多く、疑念を抱いた。
 ジョン・ウェインが出演した映画『硫黄島の砂』など、米側が描いた日米戦のほとんどは「『日本人は悪い奴』としか紹介していない」と嘆き、「こういうの(戦争関連)は、『ウラ面(一方的だったり、事実に反する内容)』が必ずある」と指摘する。

2015年、終戦70年で硫黄島で対面し、笑顔で話す元米海軍のラリー・スノーデンさん(左)と元日本海軍通信兵の秋草鶴次さん

 硫黄島関連の書物と映画、ドキュメンタリーについて「アメリカ側にはすごい数があるけど、日本側からの英語版の読めるものは、ほとんどゼロに近い。すごく偏っている」と説明する。この問題は、戦争関連の書物全般に共通するとし「旧日本兵について知りたいアメリカ人は多くいるのに、学ぶ(英語の)資料がない」と指摘する。
 だから、米側が紹介する日本兵は「こういうもの『だろう』。そう思っている『だろう』、などと推測していて、事実ではない」と強調する。「実際に元日本兵と話したことがあるのか?」と問うと「いや、ない」。「…だろう」は、よくない。
 「ユダヤ人を収容したドイツのホロコーストはなかった、という人もいる。同じように日本の蛮行もなかったという人もいるので、調べる必要がある」
 「私が1番やりたいことは、『真実はこうだった』『こういう考え方もあった』など、日本側の戦闘体験をアメリカ人に紹介すること」「私は、戦争時代に生まれていない。体験していないことを書けない」ので、「歴史を守るために、事実を曲げず、真実だけを伝える」ために「(聞いたことだけを)何も付け加えないで、何も削ることなく、何の自己判断もせずに書いている」
 (日本が占領した)サイパンやぺリリューでは、日本人と現地の人が仲よくしていたことが分かったという。結婚したり、建物を建てたりして貢献したためで、日本の行いについて「サイパンそして特にパラオ、台湾でプラスになった。そういうことを何も知らないで、南京や、バターンのことを言うのは、よくない。全体のバランスを全然、考えていない人が多くて、よくない」
 「楽な時代に生きる今の人が、昔の人(辛い思いをした戦闘体験者)を、『あんなことをやって…』などと非難してはならない。すべて終わったこと」

元日本兵について啓蒙
「国を愛し、親を守った」
講演で正しい歴史認識

 執筆活動に加え、小中学校や退役軍人会、ロータリクラブなどに招かれ各所を回り講演する。さらに、戦争関連のテレビのドキュメンタリー番組のリサーチをしたり情報を提供し、番組には33回出演し、コメントしている。
 映画制作にも携わり「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督)では、日本語のアドバイザーを務めた。「ラストサムライ」は、官軍の大砲係を指導した。

講演会で、元日本兵について語るキングさん

 講演会では、日本の軍事教育を知らない米国人を啓蒙。「あまり北朝鮮のことは分からないが」とした上で、「日本人と日本兵は、洗脳されていた。当時の日本が知りたいのなら、今の北朝鮮を見れば分かる」と説明しているという。「一番怖いことは、国が報道を握って、洗脳すること。どの国もそうで、アメリカもそうで、怖い」と、警鐘を鳴らす。
 当時の日本兵について「国を守り、親を守った。赤紙が来たら『しょうがない』と入隊した。ノーと言えない時代で嫌だと言えば、刑務所に入れられた。家族、親戚に迷惑をかけたくなかった」
 陸軍の歩兵のほとんどが「赤紙」で招集されたが、パイロットはほとんどすべてが志願兵で、海軍のパイロットに入るための予科練の試験に合格するには「頭がよく、目、歯など健康状態がいい日本の男たちのトップを全部取られてしまった。無理に神風特攻をさせたりし、もったいなかった。戦争はよくない」
 「アメリカ人、特に若い人は、日本について正しい歴史認識を持っている人が少な過ぎる。私の小さいころは『KAMIKAZE』は、クレイジーだという人が多かった。この固定観念が間違っていることを講演会で説明していて、今はだんだん分かってもらい、変ってきている。私は実際に戦闘体験者に会っているので自信を持って言うことがでる。神風特攻隊員は、頭がよく、国を愛し、親を守ろうとした人ばかり」と。

ライフワーク、死ぬまで
「私がやらねば、誰がやる」

 取材のための訪日は、航空、新幹線、宿泊、食事など、すべての費用は自分持ちで「本をいくらたくさん売ったとしても、元を取ることはできない」という。だが「やりがいを感じる」のは、「自分が意味のあることをやっているから。真実を英語で伝え『あり

読者のサインのリクエストに応じ、ペンを走らせるキングさん(右)

がとう』と言ってもらえるのは、うれしい」
 「日本に何回も行ってベテランに会って、そんなことをしてどうするの?」と聞かれることもある。それは「英語で本を作って、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなど、世界の英語を話す人たちに真実を伝え、教育するためである。私のやっていることは、遊びではない」
 「日本の復員兵のおじいさんと会って、人生の考え方を学び、自分のためにプラスになる。今まで一生懸命勉強した日本語を使ってインタビューした人が亡くなるとやっぱり、とても寂しい。ただインタビューして終わりではなく、人間的に好きになり、尊敬する。文通もしたりし、大事な親友を亡くした感じ。お墓参りは3回した」
 「この活動は、ずっと続ける。ライフワークで、死ぬまでやる。『私がやらなければ、誰がやる』」

キングさんは、旧日本兵の戦闘体験の真実を伝えるため使命感を燃やす

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