命を惜しむ

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 年頭から悲しいニュースが流れた。あれほど元気だったのに、どうして、と驚くような人が亡くなられた。それからあの人もこの人もと続いた。こちらも年を重ねてきたのだから友人、知人の訃報に接するのは当然である。生まれてきたことは嬉しいが、いつかは命の最後が待っている。誰もが一人で立ち向かわねばならない最後の、困難で寂寥極まる運命である。これだけが唯一平等である。
 3000人以上の人の死を看取ったという日野原重明医師は「人はこんなことでは死なないだろう、というところで死んでしまうものです」と書かれていた。思いもかけない病状の急変、あっという間に、息が引いた、とはよく聞くことだ。老齢で入院して死亡する時はその3分の1が肺炎なのだそうだ。生物体としての身体の力が弱まった時、瀬戸際から生き返るより死ぬ方が自然なのだろう。あるドクターは、「医者が出来る事はそんなに多くはないのですよ、患者さんの身体が自力で回復するのを助けるだけなのです」と言われていた。
 ということは、身体の力がある間にやらなければならないこと、やりたいことを、今、やっておかねばならない、ということだろう。今、自分が居る社会の中でどうベストに生きられるか。同時に、予想できない自分の死におののかないために、自分の夢や目標をどうやり遂げるか。
 米国大統領が代わり、社会情勢は緊迫し、世の中はデジタル時代になった。銀行でも、グローサリーでも、建物だけが大きくてそこで働いている人の数が極端に少ない。人が居ない。さまざまに異なる人と接し、上手に対応する機会が少ないから、人は互いに意思疎通をするのが下手になっている。人間力が落ちてきている。全てが便利になった世の中で、雑用がなくなった分、その余った時間をどう使うのかこそが問題だろう。
 英語と日本語を話すこと、紙の文化とデジタル文化をやりくりすること。両方の世界にまたがって生活しているわれわれは、なかなかに忙しい。バランスをとりながら、生かされている幸いを十分に享受し、努力を重ねたい。【萩野千鶴子】

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