トミーの金メダル
 3月のある日、テレビニュースで「近くオーストリアで開催される冬季スペシャル・オリンピック世界大会に、シカゴからただ一人、スピード・スケートでアメリカチームとしてトミー・シモダが参加…」というアナウンスに思わず目を上げて画面を見ると、見覚えのある青年がカメラに向かって笑いかけていた。
 頬から顎にかけてうっすらと髭に覆われていたが、その涼やかな目元は7、8歳の頃のトミーを思い出すのに十分だった。
 トミーが私の職場のコミュニティーセンターにある柔道道場に、両親に連れられ、弟のクラークと共に通っていたのは16〜17年も前のことである。
 話しかけると恥ずかしそうに微笑み返すが、返事をしたことがなかった。母親のバーバラさんが「この子は自閉症で言語障害があるのですよ」と教えてくれた。そのうちいつしかシモダ・ファミリーを見かけなくなって数年、偶然和食レストランで出会ったときの彼は12〜13歳だったろうか、首からかけたアルファベット・ボードで「ハロー・ハウ・アー・ユウ」と話しかけてくれた。
 それからさらに十余年、彼は777メートル競技でブロンズメダルを、そして3月23日、500メートル競技で見事ゴールドメダルを獲得してシカゴに凱旋した。母のバーバラさんにお祝いの電話を入れると、「トミーが有難うって言ってますよ」と彼女の声も弾んでいた。
 アイス・スケートを選んだ理由として、「あのスピード感が素晴らしい」と言うトミーだが、障害児を持つ両親や家族の「苦労や犠牲」という言い方は正しくないし僭越(せんえつ)であるが、そこには健常者には分からない努力が日々払われているはずである。
 しかしシモダ・ファミリーからそれを感じることはできない。弁護士である母親、同じく弁護士であり歯科医でもある父親のトーマスさん、弟でありトミーのベスト・フレンドであるクラークも含めて、家族というユニットの中で障害はひとつの個性として受け入れられている。【川口加代子】

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