ボランティア

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 アメリカではボランティアは誰でもするもので、日常生活の中に当然の事として組み込まれている。誰の生活も忙しく、誰も余分なことはしたくない。それでもする人は何かを犠牲にしてやっているので、いつかは必ずたたえられる。それがこの国の優れたところだ。
 高校の卒業式で一番最初に表彰されるのは、学業成績の優秀だった生徒ではない。皆のために尽くした生徒、リーダーシップを取った生徒だ。グッドシティズンシップという賞が授与される。それは私には新鮮な驚きであり、さすがアメリカだと、感心した。
 名声のある大学が目指しているのは、将来、社会でリーダーシップが取れる人を育てることらしい。雇われる人ではなく雇う人を育てるのが目的だと。
 仕事と家庭を持ちながら、小さなボランティアは私もしてきた。しかし、今年は団員50名余りの混声合唱団の運営委員長を引き受けた。他にやる人が居ず、在籍年数が長いという理由だけで、私にその役が回ってきた。
 小規模の団体でも、年2回のコンサート、数々のイベントへの出演、慰問公演など年間行事で忙しい。活動を縁の下で支えているのが10名の運営委員だ。監査、セクレタリー、会計、コンサート準備委員、広報、IT、総務などの煩雑な仕事をこなす。これだけの力添えがあって初めて会は回り、会員が楽しく学び歌える場を提供できる。クラシック曲や、郷愁を誘う日本の美しい曲を聴衆に届けることができる。自分が歌うことで誰かの役に立っている、地域社会に貢献していると思えることは、大切なことだ。
 それがきっかけで何事にも積極的にかかわろうとする姿勢が自然に身に付く。見える成果、見えない成果、合唱団が果たす役割は小さくはない。
 当地の日本人社会にはたくさんの会がある。私が体験した、あるいはその何倍もの影のボランティアの力に支えられているに違いない。
 さらに俯瞰すれば、日本人あるいは日系社会の健全な生活を誰かが見守っているに違いない。そんなことに気付かせてくれる、貴重な体験だった。【萩野千鶴子】

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