最後は対話

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 人種のるつぼのアメリカで、多種多様の人々と、会社では一個人として付き合い、ビジネスの現場では、全く対等の立場で仕事ができることを、感慨深く思うことがある。
 指折り数えてみれば、最初に仕事を得てから、現在に至るまで、40年になる。この国で働き始めた若き日は、単純労働しか出来なかった。経験を積み重ねた今では、重い責任を担う仕事になった。どちらの仕事もありがたい。自分の手で収入が得られる喜びはかけがえがない。
 世界に先駆けてリベラルな米国であるが、40年前ともなると、人種や性別からくる差別は歴然とあった。肌の色も外見も違う人々の真っ只中で、日本人であることは、何の意味も持たなかった。
 日本から来て、この国の一員として、収入を得ようとする道が容易であるはずがない。それでも言葉をマスターし、知識を得、スキルを磨いていけば、徐々に仕事の種類が変わっていった。
 米国社会も現在は表向きは機会均等をかかげ、差別の少ない国に進歩した。表向きはそうだが、人間の心理は、そう簡単に割り切れるものでも、理性でコントロールできるものでもない。そこが、人間の弱さであり、複雑さでもある。「Me Too」ムーブメントは、建前から一歩踏み込んだ本音の領域に入りつつある。どのように社会全体に浸透してゆくか、期待が持てる。
 商取引の現場では、話が煮詰まり、最終の詰めの段階に入ると、両者が顔を合わせる。本音に迫る対話がキーポイントとなる。最後は、相手をどれだけ信頼できるかにかかってくる。相手の利益も考慮し、こちらの主張も通す。両者がどこまで歩み寄り、どちらにもリーズナブルな利益が生じる所で成立となる。この時に力を発揮するのは、やはり交渉人の公徳心や信頼感を相手が分かることである。この人なら信頼できる、最後まで仕事をやり遂げてくれる、と。最後は昔も今も人間の対話力であり、信頼感である。その緊迫した時には、全ての身体的差が見えなくなる。人間社会の理想の姿が、一瞬、垣間見れる。【萩野千鶴子】

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