丹羽善雄さん、50年前を語る:銃声聞き、すぐさま現場へ

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ロバート・ケネディ暗殺事件

事件を大きく報じた雑誌ライフを広げる丹羽さん。見開き写真にはロバート・ケネディ(左)と丹羽さん(右)が会話している様子が写っている

 民主党の大統領候補で、上院議員を務めていたロバート・ケネディが1968年6月5日にロサンゼルスのアンバサダー・ホテルで暗殺されてから50年が経過した。ガーデナ在住の丹羽善雄さんは当時、ホテルのキッチンで働いていた唯一の日本人だった。銃声を聞きすぐさま現場に走って向い、ボディガートらと犯人を押さえつけた事件を語る。【永田 潤】

 調理師を志していた丹羽さんは事件当時、ロサンゼルスダウンタウンのトレード・テックに通い専門の技術を学んでいた。夜はホテルで働き、パーティーがあると勤めは深夜に及んだ。学校と仕事を両立させ懸命に生きていたため、政治に興味はなかったが、大統領選だけは注目していた。勤務中に突然、ロバート・ケネディが厨房に表れ「びっくりした」
 大統領選に出馬していたケネディは、カリフォルニア州の予備選に勝利し、祝勝会会場のアンバサダー・ホテルを訪れた。丹羽さんによると、ホテル入りはセキュリティーの関係でロビーを通ることを避け、裏側の従業員専用のエレベーターを利用。その前にキッチンにあいさつに訪れ、スタッフ全員と握手を交わした。その1人が丹羽さんで、当時22歳だった丹羽さんとケネディの写真が、雑誌「ライフ」に掲載された。
 勝利宣言を終え、ホテルを後にするケネディを見に行くために、ほとんどすべての同僚が持ち場を離れた。丹羽さんも後に続こうとしたが、そこに運悪く、サンドイッチのオーダーが入った。「一番下っ端だった」(丹羽さん)ため、残って作るように命じられた。
 「こんな時にオーダーか?」と、しぶしぶ作り始めた。すると突然、「パン、パン、パン」という大きな音が聞こえてきた。音はパーティー用のクラッカーに思えたが、その場にいたスタッフは何が起こったのか察知できず、キッチン内は一瞬、静寂に包まれた。「自然に体が動いた」という丹羽さんは、手に持っていた物を捨て、キッチンを出て、音がする方へ何も考えることなく走った。「何かに導かれるよう」に反射的に行動したという。
 現場へ急行すると、頭から血を流し倒れていたのは、1時間ほど前に笑顔で握手してもらったロバート・ケネディだった。叫ぶ人、泣き出す人など騒然の中、ボディガードのロージー・グレア(元プロフットボールの有名選手)が、男を取り押さえ銃を取り上げた。丹羽さんらが犯人のサーハン・サーハンをテーブルの上に乗せ、丹羽さんは警察が到着するまで、右腕を押えていたという。犯人は無言で、不気味な笑みを浮かべ「あのニヤニヤとした表情は、絶対に忘れることはできない」
 犯人とケネディの距離は3、4メートルほどで、丹羽さんとともにテーブルの上に乗せた人の数は「4人かな?」といい、はっきりとは覚えておらずまた、警察に引き渡すまでの時間も思い出せず「FBIと警察が来るまで、みんな必死だったので、記憶にないのだろう」と語る。新聞やテレビの報道では銃を握っていたのは「左手」となっていたが、「実際は右手だった」と誤報を指摘する。

参考人として取り調べ
深夜から、早朝に解放

 丹羽さんら全従業員は、参考人として取り調べを受けるために護送されることになる。スタンガンで武装した警官に取り囲まれ、物々しい警備の中でバスに乗せられた。窓が鉄格子で覆われた護送車の中は「何とも言えない変な気持ちだった」といい、不安を募らせた。移動中の車内では、ちょとしたショック状態だったため、事件のことを振り返る余裕はなく「いろんなことを聞かれるのだろうな」くらいしか考えることができなかった。そのため、50人乗りくらいのバスに何人乗っていたのかも覚えていない。

暗殺事件50年特集のドキュメンタリー番組に出演した時の丹羽さん(右)と親友のグレアさん

 着いたのはランパート地区の警察署だった。順々に個別で部屋に呼ばれ、深夜から続いた聴取は、早朝にようやく終わり開放された。何を聞かれ、何を答えたのかは、ここでもはっきりと覚えがない。事件が30年経過してから公文書が公開され、丹羽さんは当時の記録を閲覧した。自宅の住所や電話番号などが記してあったという。

ボディーガードと再会
「偶然の不思議な縁」

 ボディーガードのロージー・グレアさんとは、面識はなかった。だが、偶然の巡り合わせから再会を果たすことになる。事件から44、45年経った後の5年ほど前だったという。丹羽さんの自宅前に住む黒人女性のアンさんが、グレアさんと同じ教会に通うメンバーだと聞き、取り持ってもらい「偶然の不思議な縁」だった。
 事件についてはこれまで、日本語ラジオのレポーターのインタビューを受けたきり、親友に話すだけだったという。だが今回、羅府新報の取材を受けたのは、ロサンゼルスに住む日本人女性の友人から「日系社会にも知らせてあげたら」と促されたためだ。2人は数年来会っていなかったが、日系のスーパーマーケットで丹羽さんを見かけた友人が「もしかして、…」と声を掛け「これもまた不思議な再会だった」。その友人は「縁は大切。6月5日はロバート・ケネディが暗殺された日と認識されているが、命日でもある。お悔やみを申し上げたい」と、祈りを捧げる。
 今では親友となったロージー・グレアさんと丹羽さんは、NFLのネットワーク局の事件50年特集のドキュメンタリー番組に出演した。また、50年を3日後に控えた2日、事件現場のホテル跡地、現在はロバート・ケネディの名を冠したRFK高校で追悼式典が開かれ、2人は揃って参列した。ロバート・ケネディを知る当時の関係者と支持者、学校関係者や生徒らがスピーチし、ケネディの遺志を継ぐことを誓い合った。

「冥福を祈りたい」
事件は真相の解明を

 丹羽さんは、事件目撃のトラウマはないが「やっぱり、ショックだった」と述べた。当時は、ロバート・ケネディの実兄のJFK、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が凶弾に倒れた。ロバート・ケネディはジョンソン大統領との対立から狙われたなど、諸説があり真相を知りたい気持ちに変わりはない。ロバート・ケネディを撃ち終身刑で収監されている受刑者は「事件は記憶がない」と、無実を主張したりまた、何者かに催眠術をかけられ、犯行に及んだとされる説もあるなど、謎が多いことに丹羽さんは納得がいかない。
 事件の6月5日には毎年、振り返るというが「『今日があの日だったんだな』『そういうことがあったんだ』というくらいで、50年経った今も気持ちは同じ。偶然に事件の現場にいただけで、英語で言うなら『wrong time』に『wrong place』にいたという感じ」
 ロバート・ケネディの写真を自宅の部屋に飾ってあり、それを見るたびに「一瞬ではあるが、調理場に来てくれて、優しく声をかけられ握手してもらったことは、一生忘れられない」。ただ「銃声を聞いて自然に体が動いたのが、50年間の年月がたった今でも不思議でならない」。2日の事件50年の追悼式でケネディを知るスピーカーの話を聴いた丹羽さんは、「ケネディが、人を引きつける人だったということがあらためて分かった。キッチンから走って行った不思議な気持ちが分かるような気がした」と、自分なりに謎だった答えを出したように話した。
 「今はただ、JFKとマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、そしてロバート・ケネディの冥福を祈りたい」

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