日本もLAも今夏は猛暑に悩まされている。だが、日本と比べれば、LAは遥かにしのぎやすい。夕日が落ちれば涼しい風が吹き、気温がぐっと下がり、心地よい夕刻となる。待っていましたとばかり、家々から連れ出してもらった犬たちとその飼主が近くの公園に集まる。人間は何やかやのスモールトークに話が弾み、足元の犬たちは犬同士で戯れる。夕日が公園の木立の向こうに隠れ、宵闇が迫る頃、暑い一日の終わりの平安な時が訪れる。
 こんな時、近所の人たちと何げない会話を交わし、何もしない時間を一緒に過ごすのも、大切な社交だ。ペットがいるからこそできることである。犬の散歩は時には億劫だったり、疲れた体にはきついこともある。しかし、散歩を待ち焦がれてしっぽを振る犬を無視はできない。イヤイヤ始めた散歩でも、終わってしまえば、結構な距離を歩いて、爽快だ。犬の後始末をするために、かがんだりの動作も良い運動になる。
 だが、生き物を飼うのは責任も伴う。毎日の食事の世話、時にはシャンプー、休暇を取る時は世話人を探す手間もある。日常の世話はペットの加齢とともに、重くなる。愛情がなければできないものだ。シェルターから犬をもらい受ける人が多いが、中には暴力を受けたり不当に扱われたりしてハンディキャップを負ったレスキュー犬をもらう人もいる。傷を負った分だけ、たくさんの愛情を注いでやりたいと思う優しい人に違いない。
 ペットには、鳥も魚も人気がある。金魚でもいい。生活を共にし、自分を頼りにしてくれるペットの面倒を見る喜びというものが、あるのかもしれない。人が親になった時から、強い人間に成長するように、ペットを飼った時から、一つの命の支えになっている責任感が芽生えるのかもしれない。金魚1匹でも、帰宅した時に誰かが自分を待っていてくれるのは、嬉しい。一日の疲れも瞬時に癒やされる。
 人との触れ合いが少なくなったハイテク時代だからこそ、素朴な生き物とのつながりは、大切さを増す。【萩野千鶴子】

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