旅の恥はかき捨て

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 最近、ニュースなどで観光地での観光客のマナーの悪さに辟易している様子がうかがえる。マナーの悪さというよりマナー違反。そのため「マナー違反などをやめましょう」というサインや立て札・看板などもあるが、景観を壊すという理由であまり大々的には出せないというのもまた現実だとか。
 団体・個人を問わず、壁に落書きや器物などに傷を付けたりとかで本人は軽い気持ちかもしれないが、後につづく観光客も「まねして落書き」では洒落にならない。
 欧米では落書きは「グラフィティー」などといって芸術・アート扱いになっている面もあるが、やはり落書きは落書き。「グラフィティー」芸術は建物や器物の持ち主に了解を得てやってほしい。
 観光地の落書きは「グラフィティー」とは違い、自分がきた記念に描いたり傷をつけている。小東京の「故郷はリトル東京」の落書きも、たんに自分の縄張りの誇示でしかないようだ。
 簡単に修復できるものもあれば、文化財などのように削ったり上塗りしたりなどすることができないことも多く、頭を抱える状況にもなっている。
 「恥ずべき行為」という意識はまったくないのだろうか。それとも、もともと「恥」の種類が違うのか。
 日本には「旅の恥はかき捨て」ということわざがある。
 僕の中でこの言葉は「旅行などで知らない土地を訪れたら、習慣・風習などの情報がなく思わぬ失敗をすることがある。恥ずかしいことだが、土地の人も『旅人で知らなかったのだから』と許してあげよう」といった意味合いがあるのだと思っていたし、四、五十年も昔にそう習ったような記憶もある。
 現在では「旅先では知る人もいないし、長く滞在するわけでもないから、恥をかいてもその場限りのものである(大辞林第三版)」(だから何してもOK)とかいう意味になってきているらしい。
 この2つの意味、一つは昔々の旅人の場合でちょっとおおらかというか、お互いに認めあっているような気がする。現在の意味あいでは本当に「恥をかく」といった意識もないのかと、がっかりしてしまう。
 どちらにしろ人に迷惑をかけるのだけはやめような、と心の中で叫んでみる。【徳永憲治】

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