働くこと、遊ぶこと

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 今夏はあれだけの猛暑だったのに、8月も終盤になると、いつの間にか、朝夕は心地良い涼風を感じるようになった。夏の終わりはいつも名残惜しい。何かをどこかに忘れてきたのでもないが、言い尽くせなかった思いが残されたような、未完結さがある。とは言うものの、夏の太陽と青空の下で遊んだ満足感はある。それが、よし、これからしばらくは、身を引き締めて仕事に打ち込もうと、心地良い緊張感を生む。やってくる秋の気配は、毎年気分を引き締めてくれる。
 私見だが、われわれ60歳代の日本人は同世代の米国人に較べ、遊びが足りないと思う。遊び方が下手というか、消極的というか、米国人に遥かに及ばない。彼らは遊ぶために生まれてきたのではないかと疑うほどに、遊びの名人だ。時間とエネルギーを注ぎ込んで入念に準備し、思いっきり楽しむ。一緒に遊ぶと心底楽しい。
 一日がかりの遠距離バス旅行などすると、何事もオープンに受け入れる彼らのおおらかさを再認識する。世界が広がると言ったら大げさ過ぎるだろうか。溜まった澱が吹き飛び、子供の頃の素直さに還ってゆく爽快感がある。
 若者たちは、経済的な余裕がなくても、それなりに工夫し、ちゃんと楽しんでいるのに、驚かされ、安心もする。金銭に関係なく、純粋に楽しさを求める情熱は、若者の特権だ。若かったあの頃の、好奇心いっぱいの情熱を取り戻したい。
 働くために生まれてきたことが当たり前だった私は、遊ぶことに罪悪感があったが、今は、違う。米国人として生まれ、育った子どもたちから、米国での理想の働き方と遊び方を教えられた。同僚の米国人からも、実践を通して教わった。
 ぶきっちょなりに楽しく遊びたいと真似事に精を出す。いつか自然にできるようにと。
 秋から年末まで、たくさんのイベントと十分に関わってゆきたい。能力を尽くし、精いっぱい働き、少しでも地域社会に役に立てたら嬉しい。誰にでも夫々の社会的役割があり、誠実に働く人の姿は人の心を打つ。心底楽しんでいる人の姿は、微笑みをもたらす。【萩野千鶴子】

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