草の根交流とジョン万次郎

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 リンゴが道路脇に転がるこの時季、日本から140人のグループがシアトルを訪れた。日本の国際草の根交流センターが、ワシントン州日米協会や在シアトル総領事館、シアトル日本商工会などの協力を得て実現した、第28回日米草の根交流サミット参加のためだ。
 10代から80代までの参加者は、ワシントン州内各地でホームステイ。ジョン万次郎とウイリアム・ホイットフィールド船長に始まった交流を記念する行事とあって、開会式には山田在シアトル総領事、ハビブ・ワシントン州副知事らのほかDCから島田駐米公使も出席。日米間には困難な時期もあったが草の根交流でこそ良い関係が築かれると、一行を歓迎した。
 土佐・中浜村(土佐清水市)出身の漁師万次郎の乗り込んだ船が足摺岬沖で遭難したのは1841年、万次郎14歳の時。一行は太平洋の無人島、鳥島に漂着し、143日後にアメリカの捕鯨船に救助された。その後、仲間4人はホノルルで下船したが、万次郎はホイットフィールド船長の郷里マサチューセッツ州フェアヘーブンで船長の庇護のもとに学校に通い、航海術などを学んだ。
 万次郎が日本へ帰国したのは1851年。中濱の姓を授けられ、その知識は日本開国の大きな手助けとなった。1870年にはヨーロッパからの帰途に船長と再会を果たし、中濱・ホイットフィールド両家はその後も代々交流を継続。国際草の根交流センターが1991年から毎年日本とアメリカで交互に場所を変えながら催すサミットにも、両家代表が出席して来た。
 ワシントン州サミットには、万次郎の直系5代目の中濱京さん、6代目の知靖さんが参加。開会式で京さんは、「冒険心と、国境を超えて相手を思う心を」と呼び掛けた。ホイットフィールド家は6代目のスコットさんたちが参加したほか、ペリー提督子孫マシューさんの姿も。
 23日に行われた閉会式には参加者、ホストファミリー、支援者ら約500人が集い、和やかなひと時は「今回の交流をこれからも長く大切に」との言葉で締めくくられた。
 次回サミットは来年、兵庫・姫路で開催される。【楠瀬明子】

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