中秋の名月

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 先日知人宅で「中秋の名月」パーティーが開かれた。前日の夜は、澄んだ秋の夜空に奇麗な満月が昇っていたのに、その夜は雲に隠れ、わずかに月明かりを感じる程度だった。それでも夜気が少し冷たい夜に、30人余りが集い、語らいあうのは、久々に穏やかで心安らぐ時間だった。職場の米国人の賑やかなパーティーとは趣が随分と違う。どちらも楽しいが、夏が終わり、読書の秋、味覚の秋ともなれば、情緒豊かに、月明かりの下で、人々と交わる方がしっくりとくる。
 十五夜にちなんだ料理が供され、懐かしい味に遠い昔の日々を思い出す。食に加え、楽器が演奏されればなおよい。その夜は鍛錬された優しい音色のハープ演奏が一層宴をもりたてた。柔らかな響きだが、メロディーに力があり、何かを語り掛けてくる。言語はいらない音楽の強みである。天井の高い居間の空気を振動させ、伝わってくる弦のバイブレーション。生の音に体が共感する原始的な喜びがある。
 PCを開けば世界中の名演奏がYouTube でいくらでも聴ける素晴らしい時代になった。一方、自分で楽器を弾いてみる、自分の声で歌ってみる原始的な喜びからは遠のいてしまった。たくさんの物に満たされた生活の欠点である。
 子供の頃、光り輝く十五夜のお月さまには、餅つきをするウサギの姿が映っていると教えられ、その姿を探したものだ。大人になった今は、それは実は、おとぎ話の中に、素朴な夢と希望を探していたのだと分かる。そうであったら楽しく、思わずほほが緩むような夢を託していたのだと知る。そこには、生きとし生けるものへの素直な愛が感じられる。
 何もかもがインターネットの操作一つで処理できる現代社会。だからこそ、素朴で原始的な人と人との交わりを失いたくない。機能的な便利さと正反対の人間同士の素朴な交流。この微妙なバランスの上に、現代生活の豊かさが築けるのかもしれない。米国と日本の異なった文化と価値観のバランスの上を上手に歩いているわれわれには、得意な領域かもしれない。【萩野千鶴子】

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