ボヘミアン・ラプソディ

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 劇場のワイドスクリーンが似合う映画だが、東海岸からの帰り、飛行機の小さなスクリーンで『ボヘミアン・ラプソディ』を見ることができた。
 クィーンとの出会いはデビュー間もない74年頃にさかのぼる。デビュー当時はツェッペリンやディープパープルのようなハードロックに、プログレッシブロックの要素が入ったサウンドで、外見はグラムロックのきらびやかなコスチュームをまとっていた。初期のアルバム数枚には『シンセサイザーは使っていない』と記載があり、今見るとおもしろい。
 初来日の武道館でのステージは彼らの圧倒的な演奏と、ボーカルのフレディー・マーキュリーのしなやかな身のこなしが印象に残る極上のパフォーマンスだった。この初来日は歌謡曲界の大御所渡辺プロダクション、ミュージックライフの出版社シンコーミュージック、当時のレコード発売元ワーナーパイオニアによるコンサートだった。当初からロックファンの間で高い評価を得ていたが、日本ではアイドルグループ路線としても紹介され、観客席にはティーンエージ・ガールの数も多く黄色い歓声をあげていた。そんな目論みが功を奏して母国イギリスやアメリカより日本で先に火がついた。
 猛威を振っていたエイズは87年にAZTが登場するまで治療薬が無く、多くのアーティストやセレブの命を奪っていった。当時数人のカメラマンと広告制作の仕事をしていた。その中の一人ダニエルのスタジオでの撮影中、足を踏み入れたキッチンカウンターにはありとあらゆる種類のビタミン剤、処方箋のボトルが並んでいた。その撮影から数年後、彼がエイズで他界したことを知った。
 いろいろな解釈ができるとは思うが、『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞はただ単に殺人を犯した人間の心情を歌ったものではないだろう。現在とは状況がかなり違っていた当時、メンバー間には暗黙の了解があったにしても、フレディー・マーキュリーの胸中には、何らかのカタチでカミングアウトしたい気持ちがあったのだと思う。
 映画を見終わり飛行機の窓から空を眺めながら、改めてフレディー・マーキュリー、そしてダニエルの冥福を祈った。【清水一路】

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