消えつつある社会

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 行きつけの郵便局や銀行の窓口に異変が起きている。私は米国西海岸で一番大きいリタイアメントコミュニティー、ラグナウッズ市の傍に住んでいる。近所の郵便局はかつてはそこの老人たちで賑やかだった。局員は彼らの名前を覚えていて、明るく迎え、小会話を交わしながら、仕事をテキパキと片付けた。贈り物の郵送で忙しいクリスマス時には、独特の穏やかさが漂い、フレンドリーな米国生活の良さを味わって来た。
 それがいつの頃からかガラリと変わった。どうやら、新しいマネジャーが来た様子だ。次々にやり方を変え、効率を求め始めた。並んでいるお客をせき立て、機械に自分で宛先を打ち込み、出て来たレッテルを張って送り、クレジットカードで精算すれば待たなくていい、という。この作業は慣れていない者には、時間がかかる。これは郵便局員の仕事だったはずだ。私も含め、大半の老人にできるわけがない。
 日本に小包みを送ろうとした私はあっちの窓口に行け、と邪見に扱われ、面食らった。行った先の窓口の局員は私が目前に居るのに、休憩を取るという。隣の同僚から注意され口論となったが、ひるまない。私はきっかり10分待たされた。あまりのひどさに抗議しようとしたが、ふと、新しいマネジャーこそ、このような職場環境にした張本人であろうと推測し、やめた。イライラしながら働く局員に同情した。
 ささくれだった気持ちで郵便局を出、銀行に行くと、かつては6個あった窓口が2個になり、灰色の無機質でシャープな内装に一新されていた。あれだけたくさん来ていた老人の姿がない。お客は誰もいない。老人は自宅でPCで口座を操作できているのだろうか?
 テクノロジーの発展は革新的な便利さでわれわれの生活を激変させた。一方で、手仕事がなくなり、手紙さえ書かなくなった。なのに、私は毎日、郵便箱を密かな期待をもって開ける。何を待っているのだろうと自問する。来るはずのない手書きの手紙。それはもう幻となりつつあるのかもしれない。【萩野千鶴子】

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